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終活コラム

 

コラム 『終活あれこれ』

目黒御廟では皆さまへ少しでもお役に立てるような
終活の基本知識やライフスタイルをテーマとしたコラムなどを掲載しております。
毎月更新しておりますので、ご興味のある方はぜひご覧ください。

〈 NO.40 〉愛しいペット、愛しいワンコと暮らす幸せ

終活コラム目黒御廟ペット

「この子がいない人生は考えられない」「この子がうちにきて、私たちの暮らしは変わった」など、多くの飼い主さんが目を細めてそう言います。

このコラムを読んでくださっている皆様のなかにも、今まさに可愛いペットと一緒に過ごしているという方がたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
もしかしたら、これから我が家に迎えようと思っているという方もいるかもしれませんね。今回のコラムは、愛しいペットと暮らすことについて考えてみたいと思います。

愛しいペットに出会う前と、出会った後では、暮らしにどのような変化があるのでしょう。
よく言われるのは、規則正しい生活になったという声があります。ペットのごはんの準備や愛犬がいれば散歩に出かけるなど、毎日のルーティーンがうまれるため、飼い主さんの暮らしの中には決まりごとができます。
ペットと暮らすことで、私たちの生活リズムも自然と整い、規則正しくなっていきます。

終活コラム目黒御廟ペットと一緒

また、愛犬と散歩をするようになってから自然と運動量が増えたという声も多くあります。
愛犬のお気に入りのコース以外にも、「今日はお花がきれいに咲いているからあっちへ寄り道してみようね」という感じで、飼い主である私たちの運動量も増えて良いこと尽くし。愛犬との散歩は、飼い主も気持ちが穏やかになれる貴重なひとときのような気がします。
皆様はいかがですか? 愛犬が立ち止まるその視線の先を見て、季節の移り変わりを感じたり。ペットはこうした小さな幸せを私たちに与えてくれているのですね。

幸せはまだまだたくさん。散歩をしていると愛犬を通じて飼い主同士もおしゃべりが弾んで、楽しいひと時が生まれることがあります。犬同士が楽しそうにしていると、飼い主だけではなく、たまたま通りかかった人までも笑顔にしてくれることがあります。ペットは私たちに幸せの魔法をたくさん振りまいてくれている、そんな気がします。

ペットがいると、良いことがたくさんありますが、 もちろんそれだけではないでしょう。
しつけの問題や健康問題が出てくることだってあります。
大切なペットの一生を守るために、病気や感染症の知識を持って、予防に努めていきましょう。疑問や不安なことがあれば先送りせず、動物病院の医師に聞きましょう。インターネットや書籍から情報を得ることもできますが、やはりペットも人間と同じです。私たちが病気になれば病院に行くように、ペットもきちんと医師に診てもらいましょう。ペットを迎えるときは、そうしたすべての問題も想定し、対応できるように準備をしておきたいものです。そして大切なペットの命が終わるまで、責任を持って飼いましょう。

ペットが亡くなると、多くの飼い主さんは「うちの子が虹の橋を渡った」と言います。
もう体のどこにも痛いところはなくて、元気に七色の美しい虹の上を走りまわるペットの姿を想像して胸が締めつけられますが、いったいこの「虹の橋」とは、どんな橋なのでしょう。
もともとは、「虹の橋」という題名の詩があり、長い間作者不明でしたが、イギリス・スコットランドに住む女性、エドナ・クライン=リーキーさんが、今から60年以上も前に愛犬のために書いたものだというのが近年になってわかってきました。この詩を読んでみると、ペットたちは虹の橋を渡って行ったのではなくて、虹の橋のたもとにいるという内容でした。緑の草原が広がる橋のたもとで元気に走りまわり、いつの日か飼い主さんがここにくる再会の時を待っているのです。そして一緒に虹の橋を渡るというものでした。インターネットなどで検索をすると原文や日本語に訳した詩も出てきます。読むのがつらい方もいるかもしれません。でも、この詩が世界中に広まっているということは、多くの人がこの詩に慰められているということなのでしょう。

終活コラム目黒御廟ペットと一緒のお墓

「うちの可愛いペットが逝ってしまうなんて、そんなこと今は考えたくない」。その気持ちもわかります。とてもデリケートなお話ですから、何が正しくて何が間違っているということはないと思いますが、この終活コラムを読んでくださっている方は、さまざまなことに対して準備をされている方が多いのではないでしょうか。
楽しくて幸せな時間をたくさん私たち飼い主に与えてくれるペットです。最期のことを考えるのは大変つらいことですが、愛おしい大切なペットだからこそ、きちんと準備をしておく。これはとても大切なことだと思います。

〈 NO.39 〉目黒のおさんぽ「名建築で過ごす春の日」編

3月、春ですね。今回のお散歩は、昭和の名建築といわれる「旧公衆衛生院」を保存・改修し、2018年に誕生した「港区立郷土歴史館」へ出かけてみましょう。
行き方は、JR目黒駅から目黒通りを白金方面へまっすぐ歩いて15分ほど。ゆっくりと歩くともう少し時間がかかります。または、地下鉄「白金台駅」2番出口か、バス停留所「白金台駅前」で降りると徒歩1分で着きます。

港区立郷土歴史館外観

目黒通りからちょっと入ったところに、こんなに壮大な空間が広がっていました。建物の左右対称の安定感のせいでしょうか、こうして眺めていると気持ちがほっと落ち着いてくるようです。

旧公衆衛生院は、昭和13(1938)年、米国ロックフェラー財団の支援と寄付のもと設立され、公衆衛生技術者の教育訓練および国民の保健衛生に関する調査研究を目的とした、大学のような施設でした。公衆衛生に携わる多くの人が、この美しい建物を行き来し、さまざまな思いを抱いて学んでいたのですね。

建物を設計した内田祥三(よしかず)は、東京大学建築学科の教授で、東京大学本郷キャンパス内の安田講堂をはじめ、東京大学の各校舎の設計を担当した建築家として知られています。なるほど、ここも東京大学に似ています。 全体が「コの字型」の建物で中央部に塔屋が立ち、櫛で引っかいたような細い溝の模様のスクラッチタイルで覆われた外壁、エントランスの連続したアーチ。こうした特徴をもつ内田祥三の建築は「内田ゴシック」と呼ばれていました。

ここ旧公衆衛生院は建築そのものが展示物となっていて、訪れた人にその魅力が伝わるよう、各所に解説プレートが設置されています。館内にある案内リーフレットにも、おすすめの見学スポットが紹介されているので参考にしてはいかがでしょうか。疲れたらエレベーターもあるので安心してくださいね。

港区立郷土歴史館外観

建物正面のアーチをくぐって入ったところが、2階「中央ホール」になります。2層吹き抜け構造で広々とした空間に、目の前の階段を中心にした左右対称の昇り階段。石材が多数使われた床や壁、そして電灯や装飾。ほぼ建設当初の姿が保存されています。まるで映画のワンシーンのようで、うっとりしてしまいます。

港区立郷土歴史館外観

3階にある「旧院長室」です。高級材だったというベニヤ材がふんだんに使用され、床は職人技の光る寄木細工になっていて、当時の職人技術の高さを見ることができます。※この部屋は入り口から先は入室不可になっています。

港区立郷土歴史館外観

港区立郷土歴史館外観

4階の「旧講堂」です。全340席、備え付けの机椅子が設置された階段状の講堂です。椅子のクッションと天井板以外は、建設当初の部材がそのまま残されています。

テーマごとに分かれた「常設展示室」は、3階と4階にあります。こちらは観覧料/大人300円を総合案内で購入になります(常設展示室は撮影不可)。

テーマⅠのエリア(3階)で、まず目に入るのが幅15mにもなる伊皿子貝塚貝層断面図。ここでは「海とひとのダイナミズム」と題して、東京湾と深くかかわり続けている港区の歴史を、環境、貝塚、内湾漁業の3つのテーマをとおして紹介しています。

テーマⅡのエリア(3階)では、「都市と文化のひろがり」と題して、近世都市・江戸の城南に位置する港区の様子を、まちづくり、武家地・寺社地・町人地と、そこにかかわる人々の姿をとおして紹介しています。江戸全体を描いた江戸図の中でも最古の絵図「寛永江戸全図」や、明暦の大火によって大半が焼失する前の江戸の様子を描いた「新添江戸之図(明暦江戸絵図)」など、さまざまな資料が展示されています。

テーマⅢのエリア(4階)では、「ひとの移動とくらし」と題して、多くの人々が行き来し、暮らし続けている港区の近現代の歴史を、国際化、教育、交通・運輸、生業・産業、災害・戦争という5つの視点から紹介しています。

2階の特別展示室では、特別展・企画展が順次開催されています。詳しい情報はホームページで確認をしてみてください。

建設当初から食堂として活用されていた1階にある「旧食堂」は、カフェ「VEGETABLE LIFE」としてオープンしています。新鮮野菜をたっぷり使ったランチボックスやスープを楽しめます。見学のあとは、木のぬくもりが心地良い店内で休憩して行きませんか。
VEGETABLE LIFE 電話:03-6450-2153

この記事がアップされる頃は、もう前庭から見える桜が咲いているかもしれませんね。
名建築を見て、そしてさまざまな歴史に触れる、そんな素晴らしい春の日をお過ごしください。

【港区立郷土歴史館】
https://www.minato-rekishi.com/
〈場所〉東京都港区白金台4-6-2 ゆかしの杜内
〈電話〉03-6450-2107
■アクセス
東京メトロ南北線・都営地下鉄三田線「白金台」駅下車 2番出口徒歩1分
都営バス・東急バス「白金台駅前」停留所下車徒歩1分
駐車場はありません。
■開館時間
午前9時〜午後5時(土曜日のみ午後8時まで)
※入館受付は閉館の30分前まで
■休館日
毎月第3木曜日(祝日等の場合は前日の水曜日)
年末年始(12月29日〜1月3日)
特別整理期間

〈 NO.38 〉花咲く、着物を巡るよもやま話

目黒終活コラム着物

街を歩いている時、着物姿の人を見かけると自然と目を奪われることはありませんか。
その姿は凛として、でもどこか柔らかい。不思議とその空間だけ、心地良い風が吹いているよう。
美しい色彩に四季を感じる模様や縁起までもが込められた着物は、日本の伝統衣装だからでしょうか、私たちの心の琴線に触れるような気がします。

約1000年前、平安時代に着用された「小袖」が、現在の着物のルーツといわれています。小袖とは、袖口の小さな着物のこと。それまで下着として着用するものだった小袖が、表着として着られるようになり、時代の流れとともに様々な変化を生み出してきました。
外国文化の影響を強く受けた明治時代には、洋装を着用する人が出てきますが、洋装は高価で、しかも着慣れないこともあり、昭和初期頃までは着物が主流でした。第二次世界大戦以降になると、動きやすい洋装が一気に広まり、それまで日常着だった着物は、フォーマルな時に身につける特別な装いになっていったのです。

特別な装いといえば、卒業式や入学式。昭和40年代から50年代にかけて、着物に黒羽織姿が大流行したのをご存知ですか。
記念の集合写真では、揃って黒羽織を着たお母さんたちの姿がありました。(あぁ懐かしい、私の母も着ていた)と思い出す方もいらっしゃるのではないでしょうか。

昭和60年代の着物で印象的なのは、中森明菜さんが着用していた衣装が浮かびます。
名曲「DESIRE」の衣装は、大正ロマンを感じる着物と思いきや、裾はスカートにして黒のタイツにピンヒール、そして大ぶりなゴールドのアクセサリー。ステージ衣装とはいえ、アレンジで着物がこんなに変わるなんて、と強烈なインパクトを残しましたね。

目黒終活コラム着物

近年では蛍光色のようなビビッドな色合いやギンガムチェック柄など、自由な発想の「モダン着物」なる新しい着物のジャンルも。他の人と被らない、自分らしいおしゃれを楽しみたい方に人気のようです。
着物を楽しみたいと思うのは、もちろん男性も同じ。正統派の着こなしを楽しむ方やモダン着物のように、ちょっと個性を打ち出す着こなしを楽しんでみたり。

そして、着物の美しさは外国人からも注目で、「kimono」として世界でも通じる言葉になっていますね。浅草や京都などの観光都市では、レンタル着物を着て楽しんでいる外国人観光客が多くみられます。 

■絵画の中の着物美人

目黒終活コラム喜多川歌麿

美人画で有名な浮世絵師、喜多川歌麿の描く女性の着物の着こなしは、町中の女性たちの注目の的になったといわれています。
茶店の看板娘の柄の合わせや、花魁のちょいと衿を抜いた着こなしを描いた絵を、女性たちは頬を赤らめながら見ていたのかもしれません。歌麿の絵は、今でいうインスタグラムのような流行の発信源だったようです。

そして、国の重要文化財に指定されている「序の舞」。女流画家、上村松園の代表作として広く知られている作品です。
髪は文金高島田に結い、朱色の大振袖、袖と裾には虹色に染まった彩雲が描かれています。凛とした女性の強さとしなやかさが、艶やかな朱色を身に纏い、真っ直ぐに立ち、前に差し出した扇子を持つ右手に掛かる振袖の動きから感じます。

■桜模様の着物

今年ももうじき桜の季節がやってきますね。桜には何か不思議な力が宿っているのでしょうか。
前述の着物姿の人を見かけた時のように、しばし心を浮き立たせてくれます。同様に、桜模様の着物もほんとうに素敵。桜を紋様化したものや、写実的なものなど色々とありますが、桜が満開になったら桜模様を身につけるのは野暮ですよという考え方があり、総じて着物の柄は季節を先取りして着るのが粋なのだとか。
ですが、紋様化した桜模様は一年中着られますのでご安心を。心配な方は、書籍やインターネット、あるいは着物を購入された呉服店さんに相談してみると安心ですね。

目黒終活コラム着物

人々の着物離れといわれる一方、節目節目には着物を身につけて祝う意識が根強くあるのではないでしょうか。
TPOやルールがむずかしいといわれますが、もともとは日常着だった着物です。ルールを知った上で、色々と着こなしてお出かけをしたら、会話も弾んで楽しいひと時になるかもしれませんね。

着物姿のシルエットは、まるでひとつの絵画のよう。
もしかしたら、着物は着ているご本人以上に、周囲の人たちに幸せな気持ちを降り注いでくれているのかもしれません。

〈 NO.37 〉 ライフスタイル 日本をめぐる旅編

コロナ禍を経て、海外旅⾏や⽇本国内の旅を楽しんでいる⽅が多いと思います。
⽇常を離れ、神社仏閣巡りや温泉、グルメ、絶景巡りなど、皆さまはどんな旅の楽しみ⽅をしていますか。
いつもとちがう⾵景や⼈とのふれあい、旅は⼀期⼀会の喜びに溢れています。
今年はどこへ、どんな旅に出かけましょう。

新しい年を迎えた今、⼀年の祈願をしに、都⼼からわずか2時間⾜らずで⾏かれる箱根の旅はいかがでしょう。⾃然を堪能して⼼を潤す旅。⼤⼈の私たちが楽しむ、ゆったりと過ごす旅。
あちこち回ってスケジュールを詰め込むのは若者たちに任せて、私たちは時間に追われず、ゆったりと。

⼤いなる箱根神社へ

平和の鳥居と富士山

壮⼤な⾃然に包まれた箱根神社で参拝をしましょう。
芦ノ湖畔に鎮斎されている箱根神社は、古くから関東域の総鎮守として尊祟され、多くの参拝者が訪れるパワースポットとして有名な神社です。開運厄除・⼼願成就(勝運守護)・交通安全・縁結び・家内安全・商売繁盛と多岐にわたってご利益があります。

箱根神社 御社殿

芦ノ湖畔に建つ、湖上の⿃居として有名な「平和の⿃居」から御本殿に向かう参道の両側には、樹齢600 年を超える⽼杉の並⽊がそびえ、歩みを進めるごとに⼼の中が鎮まっていきます。厄落としといわれる⽯段はゆっくり上がっていきましょう。
⽯段を上がるのが不安な⽅は、森の⼩道をのんびりと進む脇参道があるので安⼼してくださいね。⽯段を登りきると朱塗り権現造りの御社殿が現れます。
御社殿を守るように神奈川県天然記念物のヒメシャラ純林が広がり、その壮⼤さに⼼が無になります。神社の凜とした空気に五感が研ぎ澄まされていくようです。
この感覚に包まれると、⾃然と深呼吸をしたくなります。できればスマートフォンをバッグの中にしまって、⾃然の⾳や気配に⽿をすませてみませんか。周囲の話し声もBGMに、今この瞬間を楽しんで。
御本殿で⼀年の祈願をしたら、九頭⿓神社新宮へ。

九頭龍新宮

箱根神社境内には九頭⿓神社新宮があり、ここは九頭⿓神社本宮と同じ九頭⿓⼤神が祀られています。
九頭⿓神社は、⾦運守護・商売繁盛・縁結びの神様として有名です。新宮前には9つの⿓が並び、⿓の⼝から流れ落ちる湧き⽔は「⿓神⽔」と呼ばれ、⼿のひらに受けて⼝をすすげば⼀切の不浄を洗い清め、家の神棚に供えると家内清浄縁起の養⽣となるとされています。
さぁ、箱根神社と九頭⿓神社新宮の両社参りで良い気をいただきました。参拝のお作法などが⼼配な⽅は、箱根神社のホームページに詳しく書かれているので、そちらを⾒てから⾏くと安⼼ですよ。

時を忘れてアートを楽しめる岡⽥美術館

箱根 岡⽥美術館

箱根神社から岡⽥美術館へのアクセスは、マイカーかタクシー、あるいはバスに乗って⾏きましょう。
美術館に着くと、俵屋宗達の「⾵神雷神図屏⾵」をもとに、現代⽇本画家・福井江太郎⽒が描いた縦12m、横30m にも及ぶ⼤壁画『⾵・刻(かぜ・とき)』が私たちを迎えてくれます。
岡⽥美術館は全5階、約5000 ㎡の屋内展⽰⾯積は箱根最⼤級。⾒応えがありますね。
この広⼤な館内に、⽇本・東洋の陶磁器や絵画などの美術品を常時約450 点展⽰しています。また、2024年6⽉2⽇(⽇)まで展⽰されている特別展「⾦屏⾵の祭典 ―⻩⾦の世界へようこそ―」は、約30件の⾦屏⾵が次々と展開され、展⽰室が⻩⾦で埋め尽くされています。
数多くの美しい作品を観て少々歩き疲れたら、100%源泉かけ流しの⾜湯カフェはいかがでしょう。⼤壁画に描かれた⾵神・雷神の天を駆ける雄姿を⾜湯に浸りながら鑑賞ができますよ。外は寒いので、温かいドリンクなど飲みながらほっと⼀息つきたいですね。
良い気に満ちた箱根の旅。ゆったりと過ごせたら、きっと⼼も潤って明⽇への活⼒につながっていくのではないでしょうか。

箱根は⼀年を通じて楽しめる場所ですが、もちろん⽇本国内は素晴らしい場所がたくさんあります。
『⽇本をめぐる旅編』では、また別の観光エリアにスポットを当てていきますので、楽しみにしていてくださいね。

【箱根神社】
https://hakonejinja.or.jp
神奈川県⾜柄下郡箱根町元箱根80-1
TEL 0460-83-7123
■各所の受付時間
お札所・御神印の受付時間 8:15〜17:00
御祈祷の受付時間 8:30〜16:00
宝物殿の拝観受付時間 9:00〜16:00
■料⾦ なし
(宝物殿 ⼤⼈500円、⼩⼈300円、団体割引25名以上)
■定休⽇ なし ※但し、宝物殿は展⽰替等による臨時休館あり

【岡⽥美術館】
https://www.okada-museum.com
神奈川県⾜柄下郡箱根町⼩涌⾕493-1
TEL 0467-87-3931(代表)
開館時間 9:00〜17:00(⼊館は16:30まで)
休館⽇ 12⽉31⽇、1⽉1⽇、展⽰替期間
⼊館料 ⼀般・⼤学⽣ 2,800 円、⼩中⾼⽣ 1,800 円
その他、詳細はホームページをご覧ください。

〈 NO.36 〉 冬のストレス「ウィンターブルー」にご用心

終活コラム

キラキラと光輝くイルミネーションが街を彩る季節になりました。
こうした季節の変わり目に、気分が落ち込んだり、もの悲しくなってしまう症状を「季節性情動障害」というのをご存知ですか? 

季節性情動障害は秋から冬にかけて症状が出はじめ、春になると落ち着くことから、別名「ウィンターブルー(冬季うつ)」といいます。
名前こそきれいな印象を受けますが、実際はしんどいものです。特に何か嫌なことが起きたわけでもないのに、(なぜかユーウツ)(意欲がわかない)などの症状になり、日常生活に支障をきたすことも。一般的なうつの症状に似ていますが、ウィンターブルーは食欲が増し、過睡眠になるのが特徴といわれています。食べて寝てソファでぐったりして気づいたら夕方‥。この状態が続いたら誰でもつらいものです。

そもそも、なぜウィンターブルーになってしまうのでしょう。私たちの身体は、太陽の光を浴びると、心を安定させるホルモン「セロトニン」が脳内で作られます。
しかし冬は、冬至を中心に日照時間が少なくなること、しかも気温が下がると家の中で過ごすことが増えるため、太陽の光を浴びる機会が減る傾向になります。
そのため、セロトニンの量が減少してしまうのです。さらに追いうちをかけるように暗い時間が多い冬は、眠りのホルモン「メラトニン」が優位になるため、(いつも眠い)という状態になり、体内時計のバランスが崩れがちに。こうして気持ちも身体も不安定になり、負のループに入りやすくなってしまうのですね。

ウィンターブルーの主な症状
・気分の落ち込みがある
・なぜか悲しい気持ちになる
・倦怠感が続いて、何もかも面倒になる
・いつも眠くて、朝起きられない

ウィンターブルー

ウィンターブルーかな?と思ったら
◎太陽の光を浴びませんか
いつもより少し早起きをしてカーテンを開け、朝の太陽の光を浴びましょう。
もし出来そうであれば、そのまま家の近くをウォーキングしてみませんか。気持ちが活性化され、元気になるスイッチが入るかもしれません。そして、家の中でも太陽の光が入る場所で過ごしてみましょう。

◎規則正しい生活をしましょう
乱れてしまった体内時計を少しずつでも良いので整えていきます。
まずは就寝時間と起床時間をできる限り一定にし、良い眠りのためには、ふとんに入ってからスマホを見るのをやめてみましょう。食事もできるだけ1日3食、同じ時間帯に摂るように心がけてみてくださいね。

◎無理をしない程度の運動を
家の近くをウォーキングしたり、ヨガや太極拳などゆっくりと体を動かす運動はいかがでしょうか。ラジオ体操も良いですね。続けるうちに楽しいと思えたら少しずつ時間を増やして、ご自身のペースを大切にしていきましょう。

◎セロトニンを作る成分を食事で摂りましょう
心を安定させるホルモン「セロトニン」の量を増やすには、太陽の光だけではなく、「トリプトファン」という必須アミノ酸を摂ることも大切です。
また、「ビタミンD」は落ち込んだ気分を改善させるといわれています。
・トリプトファンを多く含む食品→肉類や魚類、チーズやヨーグルトなどの乳製品 等
・ビタミンDを多く含む食品→魚類やきのこ類 等

このほかにも、音楽を聴いたり、お友達とおしゃべりをしたり、色々な対処法があると思いますが、一番大切なのは自分に無理をしないことではないでしょうか。
そしてウィンターブルーになってつらい思いをしているのは自分だけじゃないということ。
インターネットで調べると、たくさんの情報が出てきます。
つまり、それだけ多くの人がウィンターブルーを体験しているのかもしれません。

「冬来たりなば春遠からじ」。ストレスでつらい冬の時期があっても、暖かな春は必ず来ます。

〈 NO.35 〉 目黒のおさんぽ
「池田山公園でエネルギーチャージ」編

落語

目黒駅から歩いておよそ15分、知る人ぞ知る紅葉の名所「池田山公園」へ出かけてみませんか。
目黒駅から目黒通り沿いを白金方面へ歩くと首都高速道路2号線が見えます。そのまま進み、上に首都高が走る横断歩道を渡るとコンビニエンスストアの入り口近くに地図看板があります。これから住宅街に入っていくので、地図をチェックしておくと安心ですよ。閑静な住宅街を進み、坂を少し下ると池田山公園の入り口に到着。
こちらは管理事務所に近い入り口で、さらに坂を下るともうひとつ入り口があります。

この辺りの高台は、江戸時代に岡山藩池田家が下屋敷に構えたことから、いつしか池田山と呼ばれるようになりました。東京の城南地区にある高台5ヶ所の総称「城南五山」のひとつに数えられ、昭和の初め頃から高級住宅街として開発されたエリアです。そのなかで池田山公園は品川百景に認定をされています。

きれいにお手入れされた園内に色重なる紅葉。
都会の真ん中に、こんなに静かで自然豊かな癒しの場所があるなんて。気持ちが緩んで、思わず胸を張って深呼吸をしたくなります。
なんでもここは、パワースポットとして有名な場所なのですって。富士山から皇居へ向かって流れる氣のエネルギーの通り道“龍脈”の上に位置しているので、園内の池や滝は浄化効果が高いと言われています。

池田山公園は高台の高低差を活かし、ひょうたん型の池を見おろすように造られた池泉回遊式庭園です。
池の中には錦鯉を含んだ約80匹の鯉が悠々と泳ぎ、石橋を渡ると間近で見ることができます。池の周囲は石段があり、ちょっとしたハイキング気分を味わえますよ。疲れたら見晴らしデッキのそばに、東屋があるのでひと休みしましょう。
紅葉の見頃に合わせたライトアップイベント(例年11月下旬〜12月上旬)があるので、タイミングが合えば楽しみたいですね。

落語

さぁ、そろそろお腹が空いてきませんか? 公園を出て首都高速道路2号線方面に歩いて信号の手前にある、イタリアンをベースにしたレストラン〈gicca池田山〉はいかがでしょう。おや、もしかして? そうです、giccaとは実家のこと。〈giccaはあなたのほっとできる場所でありたい〉と、こころとからだに優しい料理を提供してくれます。お味はもちろんのこと、美しい盛り付けに心が躍ります。そして1Fのケーキ! ショーケースの中に並ぶその美しさにうっとりため息が。デリは“世界の家庭料理を、お好きなだけご自宅で”ですって、嬉しいですね。ショップでは食材のほかにもボディオイルやクリーム、ルームフレグランスなども揃っていて楽しいですよ。
おなかも心も満たされ、素晴らしい秋の一日。ゆっくりとエネルギーチャージしてもらえたら嬉しいです。

落語

■池田山公園
・しながわ観光協会公式ホームページ
https://shinagawa-kanko.or.jp/event/ikedayamalightup2023/
〈場 所〉 東京都品川区東五反田5-4
〈最寄駅〉 目黒駅、五反田駅から徒歩約15分
〈入園料〉 無料
〈開園時間〉7:30〜17:00(7月8月は18:00まで)
〈休園日〉 年末年始(12月29日〜1月3日)
東屋有り、トイレ有り、管理事務所有り、駐車場無し

■gicca池田山 https://gicca.jp/about/
〈場 所〉東京都品川区東五反田5丁目1−1OURA BLDG.
〈電 話〉03-6450-4830 (レストラン直通 : 03-6450-4464)
〈営業時間〉
1F ケーキ/デリ/ショップ 10:30〜21:00
2F レストラン 11:30〜22:00(L.O21:00)
3F イベントスペース(要相談)
〈定休日〉月曜日(祝日の場合は翌日の火曜日)

〈 NO.34 〉 笑ってスッキリ! 寄席へ出かけてみませんか

落語

最近、大きな声で笑っていますか?
おなかを抱えて「あはは」と愉快に、笑いすぎて涙が出るなんていうのも良いですね。笑う門には福来るや初笑いというように、笑いは縁起が良いものですが、笑いの文字の由来をご存知ですか。たけかんむりは両手、夭(よう)は踊る巫女さんの姿。両手を天に向けた巫女さんが体全体で舞い踊り、神様を楽しませているのだとか。

笑いのことわざといえば、笑いは百薬の長、笑いに勝る良薬なしが有名ですね。おなかから笑うと呼吸が深くなるので、あら不思議。天然のリラックス効果が生まれ、心も体もいい塩梅にゆるんでご機嫌に。医学的にも笑っている人の方が笑っていない人よりも免疫力が上がり、認知症予防にもつながると期待されています。

そこで景気良く笑えるのが「寄席(よせ)」。
人を集める意味の「寄せる」から「人寄せ席(ひとよせせき)」と呼ばれていたことも。寄席は伝統芸能といわれる落語をはじめ、漫才や講談、物まねや手品などの大衆芸能を楽しめます。
伝統芸能というとちょっとハードルが高いと思うかもしれませんが、そこは心配ご無用。お笑いを披露したい、お笑いを楽しみたい、そんな人たちが集まるところですもの、良い気があふれているのでご安心を。

落語

落語の魅力は、やはり語り口。
落語家は舞台(高座といいます)の上で座布団に座り、声色を作り独特な間の取り方で登場人物を演じ分けます。扇子を箸にみたてて蕎麦をすする場面になると拍手が起こることもある名作「時そば」は、落語に興味がない方でも一度は聞いたことがあるのでは。
そして秋の落語といえば「目黒のさんま」。噺(はなし)の内容をここに書くのは野暮ってことでお許しを。このほか、悪人になりきれない泥棒噺、のんきでほっこりした人気者キャラの与太郎噺、夫婦や家族をテーマにした人情噺など、落語は喜怒哀楽が豊か。
寄席は、落語をはじめ、色々な演芸が入れ替わり、一度入ったら数時間も楽しめます。

笑いに満ちた寄席、実は縁起を大切にしています。例えば、出演者の名前を書いたあの独特な筆文字。
あれは寄席文字といって、力強く極太で隙間が少ないのは客席が埋まりますように、右肩上がりなのはお客様が増えて繁盛しますようにという願いが込められているのです。そして舞台の座布団。縫い目のない方をつねにお客様に向けて置きます。これは、ご縁の切れ目がないようにという願い。ドンドン ドンドドーンと開場時に響き渡る一番太鼓。これは大入りを願って「どんどん、どんと来―い」と叩きます。不思議なもので太鼓の音がそう聞こえてきます。

笑いが足りないなと思ったり、思いっきり笑って過ごしたくなったら、ぜひ寄席へ出かけてみませんか。そんな時に、こちらの情報サイトが役に立ちます。

〈落語芸術協会〉https://www.geikyo.com/

寄席に行くのはちょっと遠いという方は、ラジオやCD、ユーチューブをお家で流して楽しむのも良いですね。さぁさぁ、笑って笑って福を呼び込みましょう。

〈 NO.33 〉 仏さまにご挨拶し、亡き人を偲ぶお仏壇

ペットと終活

「仏壇」は仏教の仏さまを祀る壇のことを言います。

お寺やお堂のものも、家庭で日常的に先祖供養をする小型のものも、どちらも仏壇です。
家庭のお仏壇は家族が朝夕の御挨拶をする生活の拠り所としての役割を担っていることも多いでしょう。

日本において誰もが思い浮かべるいわゆる「仏壇」は、江戸時代に普及します。
当時の幕府が寺請制度を導入し、各家庭が寺の檀家となること命じると同時に、各家庭に持仏などをかまえること(仏壇を設置すること)を勧めていきます。そして、そこから一般家庭に広まっていきました。

仏壇は時代と共に生活様式が変わってきている私たちにあわせ、サイズや様式も変化しています。
小型の上置き(うわおき)タイプのスッキリした、インテリアに合わせたものから、豪華な扉付きなどもあります。
素材も従来仏壇に多く使われた黒檀・紫檀・欅(けやき)等の「唐木材」ではなく、オーク材やチーク材等、現在家具に使用される素材を用いた仏壇など、シンプルでナチュラルな色合いの仏壇も多くあります。

飾り方は、「荘厳(しょうごん)」といい、仏教用語で仏像や仏堂を美しく、厳かに飾ることをいいます。その様式は宗派によって異なりますが、一般的に仏壇に納めるものは次のものが基本とされています。
内部には、ご本尊、脇待(わきじ)、掛軸・供物、先祖の位牌や過去帳、法名軸。
仏具は、灯篭、三具足(花立・香炉・燭台)または五具足(花立一対・香炉・燭台一対)、仏飯器、鈴(りん)、打敷、過去帳、見台(過去帳台)、経机、香合などを用意します。

仏壇は浄土を表しているので、仏壇に入れるのは相応しくないとされるものもあります。
故人の写真、お守り札、家人が得た賞状などは、仏壇の外の台や傍らに置きます。
家庭の仏壇は、毎日お参りする所でもあるので、厳密に考え過ぎず、各々の生活にあわせられると良いでしょう。

お仏壇は、御仏(みほとけ)の心に触れるところです。御仏の救いによって仏さまとなられた亡き人と再会し、語り合う場所です。また、亡き人に語りかけ、亡き人の声を聞くひとときを得る、心豊かな場所です。自分に合った過ごし方を大切にしたいものです。

〈 NO.32 〉 ペットも共に終活を

ペットと終活

「あなたはイヌ派? ネコ派?」こんな会話は、ペットを飼っていなくてもよく交わされます。

動物とヒトは遠い昔から共存してきました。
羊、山羊、馬、牛などは役に立つ家畜として飼うようになり、犬は狩猟のパートナーや番人として家を守る役割を持つようになりました。ベラスケスの王家の画にはよく大型犬が加わっています。
猫は穀物を食い荒らす鼠退治のために飼われるようになりました。縄文遺跡に猫の存在が認められるという研究も進んでいるそうですが、庶民に飼われるようになったのは江戸時代以降といわれています。

金魚や熱帯魚、インコや文鳥といった小動物を世話することは、暮らしにリズムや刺激を与えてくれます。
ただ、ペットも多種多様で、大型犬や爬虫類など、あるいは多数の動物を住宅街で飼育して、安全管理に問題が発生するケースがあることも考えなくてはなりません。

生き物ですから病気もしますし、齢もとります。手に負えないほど成長してしまい、制御できずに事故が起こることもあります。また、飼い主もペットも高齢になり、老々介護状態に見舞われることも避けられません。

動物愛護の法律が定められたのは1973(昭和48)年でした。正式名称は「動物の愛護及び管理に関する法律」で、動物の虐待を禁じ、動物の保護と管理を求めてつくられました。制定された後も、ペット業者は実物を見せずに販売してはいけない、飼い主は最後まで飼い続けることといった条項追加の改正を重ね、2022年に改正法全体が施行されました。
「生き物の命を尊重」し、飼い主は責任をもってその一生を管理することが求められています。

ペットを飼うことが難しくなった人のために、自治体およびボランティア団体によって、解決方法が提供されています。
例えば、東京都動物愛護相談センターは、動物愛護ボランティアに相談する、一時預かり施設へ預ける、新しい飼い主へ譲渡するなどの対応をする支援をしています。

施設に保護された犬や猫を、新しい飼い主に預かってもらう斡旋団体もあります。飼い主が預かり切れなくなったら返すこともできる、柔軟な情報提供や斡旋をしています。愛するペットが死んでしまったときに、こうした団体と接することで慰められる人も少なくありません。

悲しいことにペットが死んでしまった場合、現在は火葬が一般的です。
長く一緒に過ごしたペットであれば、お葬式をしたい、お骨を供養したいと希望する方も多いでしょう。民間のペット専用の火葬施設やお骨になったペットを安置するお墓などもあります。

目黒御廟のように、厨子にペットも一緒にお納めできる区画がある所ですと、訪れた折には、亡き人と亡きペットと共に懐かしい再会ができるので、一層うれしいひとときとなるでしょう。

〈 NO.31 〉 七夕には 天の川を見上げて願いを

日本の四季七夕

「笹の葉さらさら 軒端に揺れる お星さまきらきら 金銀砂子」

短冊に願い事を書いて笹竹に結び、童謡『たなばたさま』を歌うおまつり「七夕」は、幼稚園児の手づくりから街の大通りを彩る大掛かりなものまで、全国で行われる季節の行事です。それにしても、「七夕」と書いて、なぜ「たなばた」と読むのでしょうか。

七夕の歴史は日本だけではなく、中国や東南アジアの国々にも残っています。
天空を支配する天帝(てんてい)の娘、織女(しょくじょ)は神様たちの衣を仕立てる布を織る仕事をしていました。天帝は織女と牛飼いの青年、牽牛(けんぎゅう)の若い二人の結婚を仲立ちします。ところが、それまで働き者だった二人がちっとも働かなくなり、布地はできあがらず、牛はやせ細ってしまうという事態になってしまいました。
天帝は、二人を天の川の両岸に引き離し、真面目に働いたならば年に一度だけ会わせてやると決めました。これが日本に伝わった中国の伝説です。

この伝承から、日本では、新しい衣を献上し、和歌を詠み、裁縫、和歌、習字などの上達を願う宮中行事が行われるようになったとされています。
稲作が始まった時代から、衣を織って棚に備え、豊作を祈る神事が行われており、そこでは機織り(はたおり)、棚機(たなばた)という言葉が使われていました。
奈良時代に入ると、7月7日(旧暦)を、宮中や貴族の節日(せちにち=季節ごとの祝日)の一つ「七夕(しちせき)」と定め、二人の名は日本では織姫(おりひめ)と彦星(ひこぼし)になりました。

江戸時代には3月3日、5月5日、9月9日などの「節句」の一つに加えられ、人々の間では「七夕(たなばた)」と呼ばれるようになりました。
農漁業の恵みを祈る行事としてだけではなく、寺子屋で、子どもたちが、五色の短冊に自分の努力目標である望みや願いを書いて飾るようになったことから、七夕の風習は全国に広まりました。

夏の夜空は冬季よりずっと明るいので、天の川がよく見える日が多いそうです。旧暦より1か月以上遅い現代の7月7日も、星空を見上げるよい季節というわけです。
曇り空では星が見えませんが、月が明る過ぎても見えにくいそうです。ちなみに、「今年(2023年)は8月5日が新月のため、月はほとんど姿を見せず、月の影響はまったく気にしなくてよい好条件です」(国立天文台ウエブサイトより)とのことです。

金銀砂子を撒いたように美しい天の川を見上げて、織姫と見立てられている〈こと座の1等星・ベガ〉、同じく彦星〈わし座の1等星・アルタイル〉、それに〈白鳥座の一等星・デネブ〉が形成する〈夏の大三角〉と呼ばれる三つの輝く星を見つけてみたいものです。

そして、自分のため、人のために、良き未来を願うひとときを過ごす七夕もよいのではないでしょうか。

〈 NO.30 〉 五穀豊穣 -海の幸・山の幸-

五穀豊穣

五穀豊穣、海の幸・山の幸 黒潮と親潮の2つの海流がめぐる日本の海、原生林と高山植物が美しく、多数の源流が海へと流れる標高2500~3000mの山脈。この恵まれた自然のお蔭で、大昔から魚や貝、キノコや木の実などの食糧を得ていました。麓の里山・里では、外来種の米や麦(ムギ)、粟(アワ)、稗(ヒエ)などの穀類のタネを直播きしていました。

海の幸は塩、豊富な魚介や海藻類。山の幸は水、茸(キノコ)、果実、筍(タケノコ)、栗(クリ)、胡桃(クルミ)、団栗(ドングリ)、また鳥や猪や鹿などの肉も地域や時代によっては食べられていました。南北に長い島国の、四季の変化を持つ気候風土から得る食物は多種多様です。

水田の稲作が確立されたのは弥生時代から。「五穀豊穣(ごこくほうじょう)」という言葉は、肥沃な土地の豊作の喜びを表しています。五穀は、『古事記』には米・麦・粟・大豆(ダイズ)・小豆(アズキ)、『日本書紀』には 米、麦、粟、稗、豆と記されているそうですが、時代や地域で諸説あるようです。

米が計画生産されるようになると、米を年貢にとる政策が成立し、農産物・海産物の流通経済も発達し、各地の海の幸・山の幸が全国の庶民の口にも届くようになりました。

穀物、海の幸・山の幸をバランスよく摂り合わせることで栄養価の高い献立になります。また、数々の発酵食品を創り出し、日本独特の鰹節や味噌・醤油・酢などの調味料を用いた「うまみ」の利いた調理法が発達し、美味で栄養価の高い料理が考案されました。

今は、世界各国の食材もレシピも手に入り、外食やバラエティ豊かな家庭料理をいただくことができますし、寿司や天ぷら、和牛ステーキは外国の方にも大人気です。

その一方で、いいえ、そのような時代だからこそ、ヘルシーな和食が見直されています。2013年に「和食;日本人の伝統的な食文化」がユネスコ無形文化遺産に登録されたことで、和食の価値を改めて認識し、毎日食事の大切さに関心が寄せられています。

なかでも注目されているのは、「一汁一菜」を基本とした食事です。

一汁一菜は、ご飯と汁物(味噌汁や吸い物)に、お菜(おかず)一品の3点です。昔の一菜は膾(なます=生の魚の切り身を細切りにしたもの)でしたが、今はお刺身や魚介のあえ物です。

一汁二菜になると、そこに焼き魚のお皿が付きます。

一汁三菜は、さらに大根や芋、タケノコなどの煮物のお椀が加わります。

異なる食材と調理法を用い、味付けは鰹節、昆布、干し椎茸などで「だし」を取り、塩分は控えめなのが特徴です。

現在は、外国からの輸入品も含め、豊富な食材を入手できるので、一汁三菜も、洋風な要素を取り入れられていますし、三度の食事にご飯を食べるとは限りませんが、塩分・油分を抑え、肉類への片寄りや食べ過ぎを防ぎ、栄養バランスのよい和食の基礎基本は、日本の食文化として受け継がれています。

〈 NO.29 〉 偲ぶこころは一つ

偲ぶこころは一つ

お釈迦さまは亡くなられると荼毘(だび)に付され、舎利(しゃり)は舎利塔に納められたと伝わっています。荼毘は梵語で火葬、舎利はお骨のことです。お釈迦様が火葬されたことからその文化が世界に伝わったとされる文献もあります。

日本では、考古学の発掘調査で1983 年に、旧石器時代のお墓の遺跡が、北海道知内町で発見され、石刃、玉(ぎょく)などの副葬品も発掘されました。見つかった火葬の跡では、古墳時代とみられるものが最古と考えられています。

有史に現れるところでは、653 年に遣唐使として唐に渡り、玄奘三蔵に師事した道昭(どうしょう)が700年に72歳で没し火葬されたと、『続日本紀』に記されています。
平安時代(710年~794年)に入ると、皇族、貴族、僧侶などが火葬を行い、お骨を御廟やお堂、搭に納めて祀るようになりました。

庶民は土葬で、街中を外れた墓場や、自宅の裏山などに葬っていましたが、江戸時代後半になると都市部を中心に火葬が普及し、お寺や神社の近くに墓石を立てるようになりました。
「墓」という文字は、中国の漢字です。莫の下に日を置くと、太陽が沈んで草の下に沈む日暮の「暮」。土を置いた「墓」は、土が草に覆われ隠れてしまった場所を意味しています。昔の人も、体は自然に還り、魂は永遠と考えていたでしょうか。

人々の暮らしの営みが一つ所で続いていた時代は、先祖代々の墓や本家・分家の墓でした。
震災や戦争で無縁仏や無縁墓が数多く出ると、被災を免れたお寺が宗派を超えて、墓石を引き取ったり合祀墓を建立したりして、ご供養をした時代もありました。

現代の日本では、ほとんどが火葬され、お骨はお墓や納骨堂などに納められます。お墓の形は時代とともに変化し、貴人のものから多くの人と共用する形へと移り変わってきました。

納骨堂は、ロッカー式や仏壇式、マンションタイプと呼ばれる自動搬送式タイプなど、あらゆる種類がありますが、これは私たちの生活様式が変化し、一人で暮らしている人、後継者がいない人、仕事で留守が多い人など、「家」に属していたお墓を維持するのが難しくなった社会のニーズがもたらした結果です。

納骨堂の中でも自動搬送式タイプのお墓は、その様式から広い場所に設置されており、明るくプライベート空間が保たれている場所が多く見受けられます。

お掃除や管理の心配はなく、お花も施設で用意されていることがほとんどのため、好きな時に訪れて、亡き人を思い、万物に感謝して手を合わせることができます。こころ一つで、いつでも気軽にお参りに行くことができ、お墓参りそのものが身近なものに感じられます。

いつか自分が入る時に備えて、事前にお墓を用意しておくこともできます。
将来お世話になることを考えるようになったら、選択の自由があることを踏まえて、自分の事情に合わせた計画を立てたいものです。

〈 NO.28 〉 季節の変わり目を乗り切る“バランス”

季節の変わり目ライフスタイルコラム

意識はしていませんが、ヒトの体は、元気を出そうとする交感神経と休ませようとする副交感神経が、体内の血管や臓器の働きを絶えずコントロールして、交感神経が優位になったり、副交感神経が優位になったりして、バランスを取ってくれています。本人の意志とは関係なく働くので、2つを合せて自律神経といいます。
季節の変わり目は、そのバランスが崩れる原因が多くあるので体調を崩しやすくなります。メカニズムを知って、意志の力でできる日々の生活のバランスを取りたいものです。

自律神経のバランスを乱す原因となるのは、多くの場合天候の変化と生活の変化ですが、それが体調に影響するかしないかには個人差があります。

日照時間や気温、気圧といった天候の変化が激しい、例えば一日で10度以上も気温が変動する、暑くなったと思ったら翌日には寒さが戻ってきたというような時には体がついていけません。重ね着をしてこまめに脱ぎ着をするとか、冷暖房の温度調整で、体感する温度の落差を小さくする工夫をします。

季節の変わり目、とくに春の日本社会は節目の時期です。年度末・新年度、就職・異動、卒業・入学と、新しい仕事や学習に取り組む、新しい人間関係ができる、生活時間が変わる、住環境が変わる等で、活動的に動き回るだけでなく、精神的にも負担がかかります。
しかも、花粉症の人はアレルギーと闘う免疫機能が活発化するので、交感神経優位の状態が続き、副交感神経がなかなか働けない影響で、よく眠れない、食欲が出ない、体がだるいといった症状が起こります。

自律神経がバランスよく働けるように、個人の努力で工夫できることはあります。

一つ、生活時間のリズムを一定にする
一つ、栄養バランスの取れた食事を取る
一つ、体を適度に動かす

こうしたことを、ほどほどにバランスを取って実行します。
一日の起床・就寝、三度の食事の時間を、決めて極力守ります。
食事は、必要な栄養素を満遍なく摂取しながら、好きなお菓子もたまには戴きましょう。我慢もストレスになります。

体を動かすことも必要です。急にがんばらないで、始めはゆっくり動きます。
よい姿勢で深呼吸をする、手足を動かしてストレッチをする、階段をのぼる、そんな家の中でできることでも交感神経優位になります。お掃除ロボットを休ませて、昔のような雑巾がけの姿勢でお掃除をするのも、あまりやらない姿勢や動きになっていいものです。

食事や運動の後は休んで、副交感神経が優位になる時間を取ります。自分の行動で、自律神経にバランスよく働いてもらいましょう。

〈 NO.27 〉 目黒のおさんぽ「目黒川」編

笑顔の終活

目黒区内を北西から南東に横切って流れている目黒川は、JR目黒駅西口を出て左手の目黒通り(都道321)、権之助坂を下っていくと10分足らずで〈目黒新橋(めぐろしんばし)〉に着きます。
新橋を渡り右へ300mほど歩くと〈ふれあい橋〉、その80mほど先に〈田道橋(でんどうばし)〉があり、川岸に目黒区民センター公園の緑地が広がっています。
新橋から左へ行けば200m足らずで太鼓橋(たいこばし)〉に着き、その200m先はもう品川区です。
どちらへ進んでも、川沿いには桜並木の幅広い遊歩道が整備されています。橋の上に立つと、川の両岸から川面に向かって折り重なるように満開の桜のアーチができる光景は見応え十分。それゆえ、毎年ニュースになり、多くの人が訪れます。目黒区では目黒川沿いの木の傾きや倒木の危険予知をはじめ区内のサクラの保全に力を入れています。花が終わると並木にはやわらかな若葉が生え、夏になれば青々と繁った葉陰の心地よさをゆったり楽しめます。

目黒川は、玉川上水の分流の一つで、江戸時代は目黒川と呼ばれてはいなかったそうです。
江戸幕府は多摩川の水を江戸市中に供給するために、1652年に玉川上水を建設しました。多摩川の河口を少し遡ったところに羽村取水堰(はむらしゅすいせき)を建設して水を引き、現在の世田谷区、目黒区、品川区などを経て東京湾に流れる川がつくられました。
羽村取水堰から江戸の四谷大木戸まで、自然に流れる川になるよう地形を選んでゆるやかな勾配をつけながら掘削した距離約43㎞。江戸の人びとの苦心が偲ばれます。
以後度々分水され、途中は石樋や木樋で地中を通したり地上を流れたりしています。河口付近では「しながわ」と呼ばれていたところから、地名の「品川」が生れたと伝えられます。

目黒区を流れる目黒川にかかる橋は、玉川通りの〈大橋〉から太鼓橋まで27本です。大橋から中目黒駅に近い〈日の出橋〉までは川幅が狭く両岸から川面に折り重なるように満開となる桜が有名ですが、目黒駅から近い範囲の目黒川散歩は、いつでも気軽に楽しめるのが魅力です。

江戸時代、市中から太鼓橋を渡って目黒駅方向へ向かう急坂〈行人坂(ぎょうにんざか)〉は、商人やお寺参りの人々が行き交う大切な要路で坂上には茶屋があり、富士山が見えたそうです。
歌川広重は『名所江戸百景』に「目黒太鼓橋 夕日の岡」の一枚を残しています。傘を差した人たちが石造りの盛り上がった太鼓橋を渡っていく冬景色行です。お気に入りのスポットだったのでしょう、広重は『絵本江戸土産』にも取り上げています。

行人坂の難儀を救おうと回り道の新坂(しんざか)がつくられ、新橋がかけられたのは延宝年間(1673-1681)と推定されるそうですから、第四代徳川将軍家綱の時代です。
坂の名に、田道の名主だった菅野権之助の名が付いたエピソードはいろいろ伝わっていると目黒区のホームページ「目黒の坂」に記されています。

現在の権之助坂の両側は商店街で大賑わいです。その一つ、目黒川に向かって右手にある〈フルーツパーラー果実園リーベル目黒店〉もご紹介しておきましょう。
旧くからある名店で、新鮮な果物をたっぷり使ったパフェやケーキが有名です。朝の7時半から開いていて、モーニングセットもあります。ランチタイムは11時から14時半までで、その後は喫茶もディナーもいただけます。

【フルーツパーラー果実園 リーベル目黒店】
〒153-0063東京都目黒区目黒1-3-16プレジデント目黒ハイツ2階
TEL&FAX:03-6417-4740
〈年中無休〉
〈営業時間〉
月~土 7:30~22:00 (L.O. 21:00)
日曜・祝日 7:30~21:00 (L.O. 20:00)

〈 NO.26 〉 年金をベースに心安らかな日々を送る

笑顔の終活

「老後2000万円問題」という話題が突然沸騰したのは2019年(令和元年)6月のことでした。
金融庁の金融審議会市場ワーキング・グループの報告書に記された「……収入と支出の差である不足額約5万円が毎月発生する場合には、20 年で約 1,300 万円、30 年で約 2,000 万円の取り崩しが必要になる。」という一節が問題となったものです。

この2000万円という数字は、年金生活の夫婦の平均的年金収入と平均的生活費から毎月約5万円赤字になり、その赤字が30年間続くとおよそ2000万円になるというものでした。
確かに、厚生労働省発表の令和元年の老齢基礎年金平均受給額(月額)は 56,049円でしたが、同時に老齢厚生年金平均受給額(月額)146,162円という数字も出ていましたから、2000万円を平均的と考えるのは早計です。

日本には「国民皆保険」として公的年金制度があります。
国内在住の20歳~60歳未満のすべての人が保険料を納め、高齢者などが年金の給付を受ける仕組みです。年金というと高齢者が受給する高齢年金と思いがちですが、重度の障害を負った時の障害年金、家計を支えていた家族が亡くなった時の遺族年金も、公的年金です。

公的年金には国民年金と厚生年金の2つがあります。
国民年金(基礎年金)は、20歳以上のすべての人が加入対象で、60歳未満まで保険料を納付します。
厚生年金は、厚生年金保険の適用事業所における常用の社員・公務員が対象で、国民年金と厚生年金(現在は共済年金も一元化されています)の2つの年金制度に加入することになります。前出の月額146,162円は、この2つの公的年金の受給者の平均受給額を指しています。
国民年金は、納付額も受給額も人口や経済の変化とともに変動します。納付額は毎年設定されますから、今年の納付額はわかりますが、高齢になった自分の受給額は計算通りになるとは限りません。とはいえ年金は、高齢になった時の最も信頼できるベースとなる収入であることは確かです。

公的年金では心もとないという人のために、公的年金に追加して私的年金に加入することができます。
国民年金基金や確定給付型企業年金、確定拠出年金などは公的年金を補完するものです。また、民間の保険会社には「年金保険」商品が用意されています。

忘れてならないことは、どれほど年金や保険、貯蓄があっても将来何が起こるかは予測できないということです。
お金があれば安心と思うことは、お金が足りないと不安になることと背中合わせかもしれません。
不意の出来事に備えて積み立てていければ安心ではないでしょうか。

〈 NO.25 〉 五・七・五で表現する俳句・川柳

コラム俳句川柳

俳句や川柳が人気です。
テレビやラジオで取り上げられ、新聞には短歌、俳句欄があり、川柳も「よみうり時事川柳」や「仲畑流万能川柳」(毎日新聞)などの連載があります。

「お~いお茶新俳句大賞」、「サラっと一句!わたしの川柳コンクール(旧名サラリーマン川柳)」は企業が主催しています。
五・七・五のわずか17音(文字)で詠む俳句と川柳は日本の文字の発達とともに生まれました。

538年とされる「仏教の公伝(朝鮮半島の百済の王から日本の朝廷に伝えられた)」において仏像と経論がもたらされました。
漢字の文書はそれ以前から入ってきていましたが、漢字を使うようになったのは、この中国の漢字で書かれたお経を読み、理解するところから始まりました。
700年代には古事記、日本書記が漢字で書かれ、その中には漢字の音を借りて五・七・五・七・七の歌も記されました。仮名(かな)の誕生です。
和歌の「万葉集」は仮名を交えて編まれ、ここから日本語のひらがな、カタカナが発達しました。

平安時代は、五・七・五・七・七と詠む短歌、五・七/五・七を繰り返して最後に七で結ぶ長歌(ちょうか)がありました。
座を組んで、五・七・五(上句)と七・七(下句)を違う人が、ふたりと限らず数人で詠んでつないでいく連歌(れんが)も盛んでした。

江戸時代には全国的に「俳諧連歌」が普及します。「俳諧」は戯れ(たわむれ)を意味する熟語で、即興で機智に富んだ句を付けていきます。
旅の行く先々で、招かれて俳諧連歌の発句を詠み、独立した文学作品「俳句」を確立したのが、松尾芭蕉です。有名な「古池や蛙飛び込む水の音」もあれば「花の雲鐘は上野か浅草か」のように親しみやすい下町の句も残しています。
与謝蕪村は、芭蕉が没して20年余り後に、上方(大阪)に生まれ、江戸に出て「菜の花や月は東に日は西に」「五月雨や大河を前に家二軒」など近代に通じる句作を残した俳人であり、また水墨画の絵師でもありました。

川柳は、蕪村と同年配の柄井川柳(からい せんりゅう)が、俳諧連歌の付句を取り出して「前句付け」という技法に転じて独立させたもので、自らが名乗った俳号がそのまま名称になりました。
川柳は俳句と同じく五・七・五で詠みますが、人情の機微や社会観察を詠むのが特徴です。

俳句には五・七・五のどこかに一つ季語を入れるという約束事があります。季語は、季節の時候や事物を表す言葉で、前掲の句の「蛙」は春、「五月雨」は夏です。

季語にも音数にもこだわらない「自由律俳句」も評価が確立されていますが、季語には日本の情緒が詰まっているので、知るだけでもおもしろいし、勉強になり、句作するヒントも与えてくれます。

季語は時代に合わせてどんどん増え、季語と解説使用例を掲載した「歳時記」には、膨大な量の言葉が詰まっています。

季語を調べるのも、俳句欄や川柳欄を眺めるのも、五・七・五で詠んでみるのも、よい趣味になりそうです。

〈 NO.24 〉 笑顔は最強のコミュニケーションツール

笑顔の終活

笑顔を向ければ笑顔が返ってくる。言葉はなくても気持ちが通う瞬間です。

「おはようございます」も「ありがとう」も「よろしくお願いします」も、やわらかなほほえみを添えてこそ空気がほぐれ、次のアクションが始まります。
長いマスク生活の間に、私たちはアイコンタクトが少し上手になったのではないでしょうか。
マスクの下でにっこりするだけでも、きっと見る人の心に伝わります。

「ほほえむ」は、「頬が緩む」というように、口角を上げてにっこりする静かな動作です。
一方、声をあげて「笑う」は、抑えきれない「満面の笑み」や「笑顔がいっぱい」のうれしい感情があふれた表現です。
どちらの笑顔も単純にうれしい気持ちの表現とは限りません。さびしさを抑えた微笑みも、昔を思い出しての泣き笑いもあるように、さまざまな感情がその時その時の笑顔に秘められています。

笑顔でいるから幸せになるのか。
幸せだから笑顔で過ごせるのか。
「笑う門には福来る」とことわざにあるように、心の持ちようで良いことに恵まれるという教えは、昔からなじみ深いものですが、「いいことがないから笑えない」とつい愚痴がこぼれてしまうこともあるものです。

近年の脳科学や心理学では、心の動きと身体の自律神経系・内分泌系の働きには関係性が見られるという研究が進んでいます。
脳内で働く神経伝達物質の一種であるベータ・エンドルフィン(β-endorphin)は鎮痛効果や気分の高揚・幸福感などが得られるため、脳内麻薬と呼ばれることも。同じくドパミン(ドーパミン・dopamine)は快感を感じること。セロトニン(serotonin)はそれらの分泌を制御して精神を安定させること。
こうした研究から、意識的につくり笑いをした時でもベータ・エンドルフィンやセロトニンが分泌することが解って来たのです。

ということは、笑うことで福が来るということわざは当たっているようです。
だからといって、おかしくもないのに大笑いするのは、かえってむなしくなりそう。そういう場合は、例えば、寄席に行きましょう。落語や漫才を聴いているうちに、周囲のお客さんの笑い声に誘われて自分も笑っているでしょう。
「ユニフォームに着替えると、自然に笑顔になります」という言葉を看護師さんから聴いたことがあります。それって、つくり笑顔でしょうか。いいえ、何らかの苦痛や不安を抱いている患者さんに向き合う看護師さんたちの、やさしく寄り添うコミュニケーションツールです。

毎日、顔を洗った後に鏡の中の自分ににっこり笑いかけても、笑顔効果はありそうです。

〈 NO.23 〉 遺影の用意は明るい終活

終活コラム遺影

終活の一つに遺影の用意があります。
葬儀の際、祭壇の中央に飾る故人の写真を、自分で用意しようというわけです。
かつては、いざその時になって遺族がアルバムから探し出し、紙焼きの写真を引き伸ばして使ったものでしたが、今は写真もデジタル化。大量の写真をストックされている方も多いことでしょう。
その中から予め自分で選んでおくことは、残された人のためでもあり、自身も楽しい作業です。見送ってくれる人々の良い思い出になるような、家族が折に触れて微笑みかけてくれるような、そんな自分らしさが写し出された写真を選びましょう。

遺影は四切(254mm×305mm)や、A4(210mm×297mm)といった大きなサイズの写真を額に入れて使います。出棺の際ご遺族が胸の前に抱えて移動し、火葬場の儀式で飾ることもあります。
葬儀場の焼香台に、同じ写真を小さくプリントして写真立てに入れて、香炉と並べて飾ることも多くあります。サイズは、ハガキ大のL(89mm×127mm)やキャビネ(120mm×165mm)などにします。

写真選びの際に注意したいのは、人物にピントが合っていて、解像度が足りている写真であることです。解像度(dpi)とは、画像を構成する画素(pixel)の密度を表します。
解像度が不足していると、パソコンや携帯電話などデジタル画面できれいに見えていても、引き伸ばしてプリント(紙焼き)するとぼやけてしまうのです。プリントサイズによって必要な解像度が変わるので、プリントに出す前に調べておきたい点です。

これから遺影用に写真を撮るという、楽しい終活も魅力です。
最初から、サイズにふさわしい画素数で撮影できるので美しい写真が撮れる利点だけではなく、表情も服装もシチュエーションも自由になります。
写真館で正装の写真を撮り、併せて家族写真も撮れば、ご一家の記念写真になります。

カメラの設定を整えておけば、友人同士で互いに撮影し合っても、思い出深い一枚が生まれるでしょう。
趣味に取り組んでいる場面や、ゴルフ場や山登りなど、写真からその人の周辺情報が伝わってきます。

葬儀社などで開催する遺影撮影会を利用するのも手軽です。プロのカメラマンがリクエストに応じて撮影してくれます。服装を変えたり、帽子を着用したりと小道具持参でポーズをとるのは、撮影自体が楽しいイベントになります。

遺影の額縁は、大きな写真の場合、黒塗りや木調のシンプルなものが多く選ばれます。
一方、小さい写真の場合は、写真立てに入れてリビングルームに飾るなどずっと使い続けること多いため、サイズも枠のデサインも多彩です。
二面写真立てに、スナップ写真などを組み合わせても家族みんなの良い思い出になるでしょう。
温かい癒しの空間になりますので、生前から飾るのもすてきです。

最後に、遺影のデータは1つだけ選んで、分かりやすいように終活ファイルに保存しておくことをお忘れなく。

〈 NO.22 〉 こころに響く「香り」の美学

終活コラム香りの美学

「香(こう)を薫(た)く」。香木の薄い切片に熱を加えるとよい香りが漂います。香の場合、火を焚(た)くとは書かず、薫(かおる)という字を使います。
よい香りに包まれると心がおだやかに落ち着きます。一方、爽やかで元気が湧いてくる香りもあります。こうした、感覚に作用する効果が香りにはあります。

香りをもつ香木・香草は、日本では食用として、また薬草として多彩な活用をされて来ました。アロマ・セラピーもアロマは香り、セラピーは療法を意味しているので、同じように発達したと考えられ、今は世界的に、天然香料、合成香料が日常生活で愛用されています。
「香を薫く」歴史は、紀元前の古代メソポタミアや古代ギリシャで儀式に使われたところから始まっていますが、日本ではインド、中国から香木が入ってきて、14世紀ころから独自の香り文化を展開しました。

奈良の法隆寺の大宝蔵院に安置されている「九面観音菩薩像(くめんかんのんぼさつぞう)」は白檀の一木造り、高さ38㎝の立像で、推定「719年に唐から請来(しょうらい)」と記録されています。
白檀は木そのものが芳香を放ち、インドでは古くから儀式や瞑想に使われ、中国にも伝わり、仏教とともに日本に伝わりました。
代表的な香木、白檀(ビャクダン)、伽羅(キャラ)、沈香(ジンコウ)はいずれもインドと東南アジアが産地です。

沈香は、ジンチョウゲ科の常緑樹が鳥や虫に食べられたり落雷を受けたりして、その部分に樹液が分泌して「やに」のように固まったものです。この樹脂は比重が重く、水に沈みます。それを引き上げて乾燥させ、加熱するとよい香りを発することが発見され、香木として珍重されるようになりました。
伽羅は沈香のなかでも高級品。正倉院宝物「蘭奢待(らんじゃたい)」も沈香です。

香りを薫く習慣は仏教とともに普及しました。香木・香草から香りのエッセンスを抽出する「精油(せいゆ)」の技術も発達し、寺院でも家庭のお仏壇でも、お参りする前に香や線香で香りをくゆらせ、葬儀ではお焼香をします。これは身を清め、静かな心で仏さまにお参りするためです。

一方、平安時代の貴族たちにも、戦国時代の武士たちにも香りは愛好され、「香道(こうどう)」の様式が整いました。
薫物(たきもの)といって、沈香の精油を中心に香木・香草の蕾・実・葉・種子・根などの粉末や動物性香料なども加えて練り合わせた練香(ねりこう)を使います。
自分で調合して自分だけの香りをつくり、着物や持ち物、文を書く紙などに「移り香(うつりが)」にして身にまとう風習も生まれました。徳川家康も自ら調合してお気に入りの香りを薫き、思索の時間を過ごしたといいます。

香道では「香りは聞くもの」でありその作法を「聞香(もんこう)」といいます。嗅覚に頼るのではなく、心を傾けて香りの「精」と対話するのです。
自然科学と日本独自の美意識とが作用しあって成立した香りの美学は、二十一世紀になっていっそう求められているようです。

〈 NO.21 〉 目黒のおさんぽ「ホテル雅叙園東京」編

ホテル雅叙園東京

旧目黒雅叙園は、絢爛豪華なミュージアムホテル「ホテル雅叙園東京」となった今も目黒の名所です。
ホテル玄関を入り、右方向へ幅広の通路を進むと目を奪われるのは、左右に並ぶ木彫・彩色木彫板・彩色天井画等のアート。旧目黒雅叙園時代からの収蔵品、新築を機に修復したもの、伝統技術を守る精鋭作家の新たな作品がみごとに調和して、日本の美を継承しています。

ルーツは1928(昭和3)年に芝浦で創業した料亭で、1931(昭和6)年に目黒の地に庶民や家族連れのお客様が気軽に楽しめる中華料理と日本料理の料亭として移転。広い日本庭園と木造の日本建築は贅を凝らした造りで、その内部は彫刻、螺鈿、組子細工、絵画、壁画、天井画と他に例のない美術作品で埋め尽くされておりました。
2017(平成29)年にホテル雅叙園東京にリブランドし、ホテルのほうは最新設備と現代アートを加えた空間となりました。

エントランスから歩みを進めてくぐる門は、ここを通るお客さまをお出迎えしお辞儀をするかのようなむくり屋根の「招きの大門」。そして、現れる吹き抜けの大空間。左側に開放的なカフェラウンジ パンドラのゆったりした124席のしつらえ、ガラス張りの向こうには、滝が流れ落ちる池に鯉の群れが泳ぐ日本庭園が見えます。
ケーキ、パフェ、バーガー、サンドウィッチなどのほか、ゴージャスなアフタヌーンティーも用意され、飲み物はコーヒー、紅茶、ソフトドリンク、酒類もあります。
天気がよければ庭に出て、木立の間を歩いたり、悠々と泳ぐ緋鯉真鯉や配置された石の趣を楽しんだりもできます。吹き抜けのエスカレーターで上階にあがって、日本の伝統工芸の技を鑑賞することも忘れずに。

この、日本の美が取り巻く〈1階アートスポット〉散歩は、そのときの気分に合わせて自由自在ですが、もう1か所、竜宮城とはこのことかと思わせる、東京都指定有形文化財「百段階段」の見学も一度はしたいものです。
1935(昭和10)年に建てられたこの木造建築は、ヒノキ材の階段廊下99段でつないだ7室のお座敷として接客に使われていました。
各室の襖、天井、欄間は当時の著名な画家や名工の作品で埋め尽くされ、圧倒的迫力です。
ただ、エントランス左手にある専用エレベーターは、その入り口まで行くもので、99段は歩いて登らなくてはならないので、少々体力が必要です。

ホテル雅叙園東京へは、JR目黒駅西口から歩いて数分の距離ですが、急峻な行人坂(ぎょうにんざか)を避けて権之助坂(ごんのすけざが)を迂回するのも一法です。
また、目黒駅東口から20分間隔で運行している「ホテル雅叙園東京」行きの無料シャトルバスを利用すれば、風の日も雨の日も、歩くのが辛い日も楽しめるホテル散歩になるでしょう。

ホテル雅叙園東京
〒153-0064 東京都目黒区下目黒1丁目8−1
TEL:03-3491-4111(代表)
☆無料シャトルバス(目黒駅東口‐ホテル玄関) 20分間隔
東口を出て右手すぐのタクシー乗り場の後ろ(停留所はありません)
☆東京都指定有形文化財「百段階段」の見学
企画展開催時のみ一般後期(事前問い合わせ)
有料(企画展によって異なる)、休館日不定

〈 NO.20 〉 仏さまにお参りしましょう

終活コラム文化シリーズいけばな

「仏さま」といえば阿弥陀如来、釈迦如来、大日如来などが思い浮かびますが、亡くなられた人も「仏さま」と呼びます。

推古天皇の時代の西暦604年に聖徳太子(厩戸皇子)によって制定された十七条憲法には、一条「以和為貴(和をもってとうとしとなす)」の次に二条「篤敬三寶(あつく三宝をうやまえ)」とあります。三宝は仏(さとりを開いた人)、法(その教え)、僧(その教えを受ける人々)を指しています。
仏教には、人々の暮らしや風習を培ってきた長い歴史があります。

名勝の寺院には仏像が立派な壇に安置されています。そのお姿を拝むときにお寺の宗門を気にする人は少ないでしょう。
家にお仏壇がある場合は、ご自分の家の〇〇宗(宗門)△△派といった宗旨に従って、ご本尊の仏像や掛け軸をお祀りします。

お仏壇は黒漆塗り内側金箔のもの、銘木仕立てのものがありますが、昨今は生活に合わせたスタイリッシュなお仏壇が様々あります。
新たに購入する場合は、どのタイプが良いか選び方など分からないことも出てきますので、専門店や自分の宗派のお寺に相談しても良いかもしれません。

お仏壇には荘厳(しょうごん)という飾り方があります。ご本尊を中心に、花立て、香炉、燭台を配置します。お花を飾り、お灯明またはろうそくを灯し、お香やお線香で清めるこのしつらえは三具足と言い、花立てと燭台を一対に置くと五具足となります。お仏壇はご本尊をお迎えした所ですから、位牌や過去帳などは、邪魔にならないように収納します。

飾り方についてや、位牌・過去帳などの使い方などは、宗旨・宗派によって、それぞれ形式が異なりますので、自身の宗派やご先祖さまのことを知っておくと良いでしょう。

お仏壇を飾った後の、仏飯は、中央にお供えします。日常の生活の一部として毎日仏壇には花を飾り、お線香をあげて拝みましょう。

いずれの形式でも、仏教の教えに触れ、仏さまとなった亡き人に再会する所であることに変わりはありません。特定の法要だけではなく、日々、お参りする機会を持つことで、安らかな時間を得ることができるのではないでしょうか。

〈 NO.19 〉 変わりゆくお墓の文化

終活コラム文化シリーズいけばな

お墓の前で、家庭ではお仏壇に、手を合わせて礼をする。
子どものころから祖父母や両親に促されて見様見まねでやっていたしぐさも、いつの間にか板に付き、なぜかやすらぎ落ち着きを得る。お参りにはそんな力があります。

ご先祖を偲び加護を願う穏やかな日にー
思い出があふれて亡き人に会いたくなった時にー
人はお墓やお仏壇に参りたくなります。

なぜなら、お墓やお仏壇という場所は、ご先祖や身近な家族と共有する一つの「器」のような役割を果たしてくれる空間、心の拠りどころだからです。

今では、家代々のお墓を一つ所に守ることは難しくなりました。
東京の青山霊園が公共墓地となったのは1874(明治7)年といいますから、近代社会になるに従い霊園が求められたことがわかります。
核家族や単身者が増えていく時代の移り変わりと共に、遠方にある実家のお墓にはなかなか行くことができない、 家にはお仏壇をおいていない、といったような変化も生じてきます。
そのような家族それぞれが異なる社会活動を営み、グローバル化していくなかで注目されているのが利便性のよい都心にある室内の納骨堂です。

納骨壇が並んでいて、それぞれの場所に立ってお参りするタイプや、厨子が自動的に参拝者の前に運ばれてくる自動搬送式タイプなどがあります。

自動搬送式タイプの多くは、個々に用意された参拝室に、専用の厨子がコンピューター制御で運ばれてきます。施設によっては、ご遺骨とともに遺影が映し出される場所もあり、家族や自分だけの空間を創り出してくれます。お花やお香などが用意されているところも多く、手ぶらで参拝に行けるところが大きな魅力の一つです。
ICカード一枚あればいつでもお参りできるため、毎日お参りに行くことを日課にしている方や、独立したご家族それぞれでICカードを持たれている方も少なくないようです。

それ以外のタイプには、お位牌とご遺骨を収めた壇になったもの、ロッカー式になっているもの、墓石が並んでいる墓石型などがあります。いずれも、遺影やお花を飾るスペースがあるもの、ないものがあります。
また、ご遺骨は別に保管し、お位牌が並べられている位牌型や、はじめから他の人のご遺骨と一緒に納める合祀型もあります。

自分や家族のお墓に対する考え方、初期および維持に要する費用などを視野に入れて、多様な選択肢があることを知っておきたいものです。

〈 NO.18 〉 いのちの総合芸術「いけばな」

終活コラム文化シリーズいけばな

自然を畏れ敬う一方で、草木の緑や紅葉、絢爛と咲く花も可憐な小花も慈しむ。
そんな風土に「いけばな」という芸術があります。
いけばなは日本独自の美意識と、植物の命を損なわない技術、豊富な花材、多種多様な花器で形成する芸術です。

「おもしろく咲きたる櫻を長く折りて、おほきなる瓶(かめ)にさしたるこそをかしけれ。」と『枕草子』には風趣が綴られています。それより少し遅い平安時代後期と伝わる『鳥獣人物戯画』には、蛙の仏さまの前に蓮の花を挿した花瓶が描かれています。

鎌倉時代になると、お寺では仏前に花瓶・香炉・燭台の三具足(みつぐそく)を備えるようになりました。
この三点は現代まで伝わり、お寺はもとより家庭のお仏壇でも使われています。室町時代になると、貴族の館の寝殿造りから武家の書院造りにと建築様式が変わり、押板(平らな一枚板。後に床の間に変化)や違い棚を設け、身近に仏像や仏画を拝し、花を供えるようになります。また、大名や有力武士の間に茶の湯が流行し、茶室の花も一つの様式を生みました。仏教、茶の湯、書画、焼き物などとともに、いけばなは学術文化の素養として磨かれていきます。

江戸時代には大名家をはじめ武家や裕福な商家で花をいける文化が定着し、全国にいけばなの専門家が求められるようになりました。
現在の華道家元池坊は、室町時代から代々京都のお寺の僧侶であり華道家元を継承する家で、現在は45代家元池坊専永のもとで多彩な活動をしています。

幕末に生まれ、大阪で彫刻の道からいけばなに転身した小原雲心は水盤や鉢など広口の花器を創作し、盛花(もりばな)といういけ方を考案します。
今ではいけばなといえばほとんどの人がこの様式を思い浮かべますが、それ以前は、口の細い花瓶に定型を守っていける立花(りっか)と投げ入れの二種のスタイルしかなかったのです。
ちょうど西欧文化が流入してきた明治時代の中ごろに、広口の器と立花の理論を融合するいけばなの新しい世界が開けました。

そのころから女学校(現代の中学高校に相当)で華道や茶道の授業を採り入れるようになり、昭和前半の戦争の時代を過ぎて、高度成長期に入るといけばなは女性の稽古事として盛んになり、数多くの流派が教室を開くようになりました。

一方で、いけばな小原流の三代目豊雲と、草月流を創始した勅使河原蒼風の二人は、前衛的ないけばな作品を積極的に海外に発表して、旋風を巻き起こします。そこから始まった現代いけばなは、花をいけるパフォーマンス、書や写真とのコラボレーション、舞台美術など多方面に表現の場を得ているのはご存じの通りです。

その一方で、仏さまにお花を供える慣わしは千年の昔と変わらず受け継がれ、今では花材に洋花も多く採り入れれています。
日々の暮らしのなかでは一輪挿しもリース飾りも共存しています。花と緑が潤いとやすらぎをもたらしてくれるのは古今東西変わらないようです。

〈 NO.17 〉 大人の常識 端午の節句の意味

終活コラム端午の節句こいのぼり

--思い出そう。屋根より高い鯉のぼり--

ここ数年、地球温暖化の影響で、世界各地が異常気象に見舞われています。「四季折々」「春夏秋冬」などの言葉が似合うわが日本も、その渦中にあります。せめて、いにしえの時代からある行事を思い出して、移りゆく季節を楽しみたいものです。

古代中国を起源とする旧暦。現在わたしたちが使っている新暦(太陽暦)以前の暦のことですが、そこには5つの節句(五節句)が定義されています。節句とは季節の変わり目となる日のことで、1月7日の人日(じんじつ)、3月3日の上巳(じょうし)、 5月5日の端午(たんご)、7月7日の七夕(しちせき)、9月9日の重陽(ちょうよう)の5つをさします。

いわば季節のターニングポイントですから、人間の体調を整えなくてはなりません。古代中国では、その日に旬の植物を摂取して邪気を払い生命力を呼び起こす、としたそうです。
それにあやかった日本。その日に特別なごちそうを食べる風習ができました。七草粥、甘酒、ちまき、柏餅、そうめん、菊酒などがそれで、節句を演出するためには欠かせない味わいとなっています。もっとも旧暦と新暦では1ヵ月ほどのずれ。なかには「旬」と言い切れないものもありますが…。

5つの節句のなかで、5月5日の端午だけが1948(昭和23)年に「国民の祝日」と制定されました。
いわゆる「こどもの日」です。
端午の節句は江戸時代から続く行事。鯉のぼりを立て、鎧兜や武者人形を飾り、ちまきや柏餅を食べ、香りのいい菖蒲湯につかる。親戚一同が集って男の子の成長を祝う、まさに一大イベントです。

「屋根より高い鯉のぼり」
「柱のきずはおととしの五月五日の背くらべ」

昭和ボーイ&ガールの中高年にとっては懐かしの原風景ですが、昨今、すっかり影を潜めてしまいました。
少子化や住宅事情、さらにはその日が連休最終日にあたるため、昨今ではすっかり遊び疲れを癒やす日とイメージされています。

さてそんな時代。懐かしい行事と久しぶりに向き合う機会が訪れます。ある日突然に、不肖の息子や娘たちが運んできた「かわいい、孫」。いつの間にか「じいじ」や「ばあば」と呼ばれだす、うれしいやら恥ずかしいやらの因果応報。
町内のダンス教室でタンゴのひとつでも踊りたいところですが、ここはひとつ、お孫さんのために人肌ぬいでみませんか。

〈 NO.16 〉 亡き人を敬うご葬儀のマナー

終活コラム日本の葬儀イメージ

近年の葬儀は、葬祭場で前日にお通夜、翌日に葬儀と告別式を併せて行う形が一般的になりました。
身内や親しい人でなければお通夜は遠慮し、会葬者として告別式に参列するものでしたが、今はお通夜かご葬儀のどちらかに伺っても失礼にならなくなりました。

世界中の人と文化が交わるようになり、風土や宗教に強く結びついていた葬儀も多様になりました。
最近は、小人数の簡素な式をする傾向も増えています。遺族は、どのような形にせよ、葬儀を行うことは故人への礼であり、生前に交誼のあった方々への感謝を伝えるものです。

葬儀のご案内は、遺族が直接報せるほかは、身内や親しい人に、委ねる範囲を分けてお願いします。
葬儀当日は、仏式であれば司るお坊さまへの礼を第一にすることが喪主の役割です。
遺族はなるべく祭壇近くを離れずに、参列に来た方々を迎えます。
お寺や葬儀社、葬祭場の係の人が助けてくれるので心配せずに、心を落ち着かせるように心掛けます。

葬儀に参列する会葬者は「万事控えめ」がマナーです。
マナーは、服装や作法、言葉づかいなどをその場に合わせるための緩やかなルールです。
参列者は地味なスーツ姿でも、焼香の仕草がぎこちなくても、心を込めて丁寧にお辞儀をする所作が言葉以上に弔意を伝えてくれます。

参列者がなるべく守りたいマナーは、最初と最後にあります。
まず、葬儀が始まる20分前くらいに到着して、受付を済ませます。
住所氏名の記入は、郵便番号から丁寧に正確に書きます。これは後で見るご遺族のためです。
受付で故人との思い出話などの長話は禁物です。案内の人に従って速やかに着席します。

式が終わると、参列者は一旦、式場の外へ出て、出棺の準備が整うのを待ちます。
参列者も一緒に棺にお花を入れるよう勧められたら、お身内や親しい人の後ろに回り控えめに行います。

その後、棺を乗せて火葬場へ向かう車を玄関でお見送りします。
お焼香が済んだら失礼するのではなく、お見送りすることによって参列者は礼を尽くします。

葬儀は、亡くなられた方とお身内に寄り添う短い時間です。故人を敬う心、ご遺族をお慰めする気持ちをもって参列することが最良のマナーではないでしょうか。

〈 NO.15 〉 目黒のおさんぽ「庭園美術館」編

終活コラム庭園美術館

画像素材:PIXTA

目黒駅はJR山手線と東急目黒線の駅があり、東京メトロ南北線、都営三田線も乗り入れています。
駅名が目黒なのに駅があるのは品川区、しかも北の先っぽに位置するので、目黒駅の西口に出るとすぐ目黒区になりますが、東口に出ると南に品川区が、北方向に渋谷区が広がり、東側は港区です。
その港区に散歩に絶好の東京都庭園美術館があります。

目黒駅東口を背にして立つと、右側に広い大通り目黒通りが白金台方向に延びています。左側にも一方通行の自動車通が通っていて「自然教育園前」の信号で目黒通りに合流します。
この合流地点の少し手前から目黒通りに沿って国立科学博物館附属自然教育園の広い緑地があり、その手前側の一角に東京都庭園美術館があります。目黒通りに面した正門入口まで駅から歩いて10分程度の距離です。

西洋庭園、日本庭園、茶室、芝庭と手入れの行き届いた、しっとりと落ち着いた空間を散策するだけで美しい日本を感じることができます。
その奥にある美術館は、建物そのものが元は宮様のお住まいだったもので、アール・デコ様式の洋館。大理石、各種の天然木材、クラシックな模様ガラス、ブロンズのはめ込みなど、重厚な造りと美しい建具類は何度見ても眼福まちがいなしです。

庭園に入る入園料は一般200円、65歳以上は100円、小学生以下は無料。
美術館への入場料は開催している展覧会によって異なります。
休館日は月曜で、祝日の場合は開館し、翌日が休館になるので注意が必要です。
美術展はその都度テーマが異なるので、例えば建築を十分に楽しむためには、「建物公開」の期間に訪れるのがおすすめです。サイトに出ている展覧会の年間予定表で確認できます。

美術館内でひと息入れるなら、新館の「カフェ庭園」がおすすめ。おいしいスイーツも揃っています。
目黒通りを駅方向に歩く途中には大手チェーンのカフェがいくつもあります。
“目黒仕様”なのでしょうか、明るくゆったりしたテーブルの配置で寛ぐことができます。

ご馳走をいただくなら鉄板焼き「可らし」は如何でしょう。
目黒通りを挟んで庭園美術館の真向かいなので、角の信号を渡って少し白金台方向に戻る位置にある路面店です。入口が建物から少し奥まっていますが、内部はカウンターとテーブル席があり、シックな内装。
肉・魚介・野菜をバランスよくいただける〈お好み焼きコース〉3,000円、 吟味された山海の材料を揃えたこのうえなく豪華な〈鉄板焼きペアコース〉一人前7,000円、〈和牛ステーキコース〉7,000~。
召し上がれば間違いなくリーズナブルと納得できます。
感染症流行以来現在は夕方の16時からの営業です。電話で予約がおすすめです。
■鉄板焼き「可らし」
東京都港区白金台3丁目19-5
TEL03-5423-5424
月曜定休

最後にオマケ情報を一つ。目黒駅アトレ1・2の飲食店のいくつかで、美術館の入場券を見せると1ドリンクや10%引きの特典があります。
■東京都庭園美術館 
東京都港区白金台5-21-9
ハローダイヤル 050‐5541‐8600
https://www.teien-art-museum.ne.jp/
※庭園公開状況などに変更が生じる場合がありますので、事前にご確認のうえご来館ください

〈 NO.14 〉 人生の最期まで守ってくれる介護保険

終活コラム介護保険

今は不自由なく日常生活を送っていても、年齢が進むに連れていずれは人の助けを借りるだろうことは、誰もが考えておられるでしょう。その時に備えて、早めに研究しておきたいのが介護保険です。

介護保険は、国民健康保険や公的医療保険(国民健康保険や組合けんぽ、共済など)と同じように、加入者(被保険者)の納付する保険料と公費の投入によって、社会全体で支え合う国民皆保険の一つです。給付されるのは介護や介護予防のサービスです。

民間の保険会社の介護保険と銘打っている保険商品は、公的介護保険を利用する際の自己負担分にあてるためのものなので、それはそれで大切ですが、その前提には介護保険の利用があります。

介護保険を受給する場合は、まず、どれくらいのサービスが必要か、「要介護認定」を受けます。要支援1・2、要介護1~5の7段階の認定レベルによって、利用できる「要介護・要支援サービス」の範囲が決まります。

「訪問、通い、泊まり」の利用形態で多種多様な介護・看護サービスがあり、必要に応じて組み合わせて利用します。

認知症対応型共同生活介護(グループホーム)は利用者が穏やかな生活を取り戻す例も少なくない介護方法です。要介護3以上でなければ入所できないとされている特別養護老人ホームの多くが終末期の看取りまで受け入れています。
要支援の給付にある、リハビリや入浴、介護予防福祉用具貸与等などは、今すぐ使えるかもしれない「転ばぬ先の杖」です。

終活の一つとして、介護保険の給付申請手順を一通り知っておきましょう。

〈1〉住んでいるエリアの「地域包括支援センター」へ相談します。ここで、介護保険のパンフレットをもらっておけば、理解しやすくなります。
〈2〉包括センターでは、社会福祉士、ケアマネジャー、訪問看護師などがチームを組んで対応してくれます。
〈3〉要介護認定を受けます。利用者の運動能力および麻痺や認知症などの有無、必要とする介助についての聞き取りデータに基づくコンピュータの第一次判定と、専門家による第二次判定で行われます。
〈4〉要介護認定結果に照らして、利用者および家族とケアマネジャーに、主治医等も参加してケアプランを立てます。
〈5〉受ける介護サービスの業者を選定し、利用契約を結びます。介護サービス事業者は、社会福祉法人も含めて行政機関(都道府県知事または中核市市長)へ届出をしている民間経営です。見学したり話を聴いたうえで選べますし、途中で変更することもできます。

包括センターは地域ごとに運営されていますが、主治医やケアマネジャー、サービス事業者は地域とは関係なく選べます。利用できるサービスについて、加入者本人と家族が、主体的に考えて選択することで、介護保険の価値が生きてきます。

〈 NO.13 〉 元気な今こそ身の回りの整理

終活コラム身の回りの整理整頓

終活のなかでも最も体力を必要とし、時間もかかるのが身の回り品の整理です。
試しに、家の中で一番使っていない部屋の押し入れや戸棚を開いて、中のものを引っぱり出して、床に並べてみるとしましょう。
半間の押し入れの下の段だけでも、びっくりするほどの量です。
思い出のこもった物を整理するのはなかなか捗らないものですが、きちんと分類して美しく収納してあったがゆえに日の目を見なかった品物が、よみがえる機会になるかもしれません。

身辺の物の整理は、財産問題のような難しいことではないのですが、大事なことですし、よいことが二つあります。一つは、今の生活をスリム化して活動しやすくすること。
もう一つは、後に残る人が遺品整理に苦労しなくて済むので感謝されることです。
全体を考えると億劫になるので、この押し入れ、このタンスというように、小さめに区切って着手します。

片付け作業には体力と思考力が必要です。作業は人の手を借りることもできますが、終活に求められるのは、整理をどうするかの判断を自分ですることです。

○日常使っている物
――もちろん、引き続き使う。
○大切な物
――置く場所を換えて、楽しむ。あるいは、大切にしてくれるだろう人にプレゼントする。
○価値のある物
――財産目録に入れるほどではないけれど、売れば値が付くものは、すぐ売る。
○使う予定がない物
――ほしいという人にあげる。引き取り手がない物は処分する。
○何かの時に役に立つと考えて取ってある物
――災害時には役立つと考えて保存してある重い毛布などは、それに代わる防災グッズに替える。

気をつけたいのは、デジタル機器の取り扱いです。
パソコンやアイフォンには、大切な写真や人には見られたくない記録が溜まっています。使わなくなったら、パソコンを譲る場合も廃棄する場合もデ―タを削除しなくてはなりません。
デジタル機器のIDとPWを紙に記録してデータの削除を頼むことを、依頼する人宛に書き遺し、財産管理の機密事項と同様に保管します。

愛着があるものを身内や縁のある人に譲りたいと思うのは人情ですが、それにこだわらず、インターネットで売ってでも、誰かに使ってもらうほうがよいと考えるのもよいのではないでしょうか。
また、防災グッズなどは機能性が高くてコンパクトな最新のものを備えるほうがよく、使わずに済めば幸いであり、むだな買い替えにはなりません。

いつの間にか増えた物、それは生きてきた道のりの証です。

それらの物と別れる前に写真に撮るもよし、思い出を文章に綴るもよし、忘れていた趣味を再開するきっかけにするもよしです。
工夫次第で楽しい整理になるのではないでしょうか。

〈 NO.12 〉 もういくつねるとお正月

終活コラムお正月

12月も半ばになり、年の瀬の気配が街を彩っています。
暦の1月1日はどこの国でも「年の始め」。
古代ローマも古代中国も、それぞれの暦に従って新年を決めていました。今は世界のほとんどの国が同じ暦を使っています。

日本も太陰暦だった明治5(1872)年11月9日に改暦の布告を行い、翌12月3日を太陽暦の明治6(1873)年
1月1日と定めました。その名残で、旧正月の風習が各地に残っています。

昔から月の末の日を晦日(みそか)、12月31日は大晦日といい、お役所は仕事を納め、商家は1年分の締め日でした。
番頭さんが大福帳を繰って掛け取りにまわるのは落語のなかの話ですが、現代でも、けじめを付けて迎えるお正月は日本文化の大イベントです。
大掃除をして、お正月飾りを整え、お餅をつき、おせちのご馳走をつくる。子どもたちも、立ち働く大人に混じって、うれしさに胸をはずませて手伝いました。

神社やお寺の大掃除は「すすはらい」といって、新しい笹竹のほうきで煤(すす)を払う、全国的に12月13日に行われることが多い清めの伝統行事です。
家庭でも少し念入りにお掃除をして、清らかに元旦を迎えるのは気持ちがよいものです。

ところで元旦は、「元日の朝」に限定されている言葉とご存じですか。
「旦」は地平に太陽が昇ってくる朝(あした)を意味している! 
辞書を引いたら、確かにそう記されていました。

おせちは、お正月に限らずお節句や宮中の行事でつくられてきた料理として長い歴史があります。
縁起のよいことに結び付けた材料や地域の産物を使い、多彩な食文化が継承されています。
年越しそばの歴史は浅く、江戸時代中期に江戸から全国へ普及していったものと言われており、年取り(年越し)魚に、サケやブリを焼いて年越しの膳にする地域が多かったのだといいます。
会う人ごとに「おめでとうございます」とあいさつを交わし、少しよそゆきの服を着せてもらった子どもたちは、神妙にお年玉を受け取ります。

神社やお寺へ初詣をして、旧年の無事を感謝し、新しい一年がよい年でありますようにと願います。 また、お仏壇に手を合わせることや、墓所へお参りに行くことで、ご先祖さまへの感謝とともに新年のよろこびを分かち合います。 元日、三が日、七日には七草がゆを炊き、十一日にお供えしていたお鏡を下ろす鏡開きをして、十五日に門松やしめ飾りを納めて松の内が終わります。

そして、15日は小正月(こしょうがつ)あるいは女正月といい、年末年始忙しかった女性たちがゆっくり過ごす風習もあります。

今は7日からは通常に戻る傾向ですが、日にちにこだわらずに混雑を避けて、自分らしいお正月のひとときを楽しむのもよいのではないでしょうか。

〈 NO.11 〉 未来のためにお墓を選ぶ

コラムお墓の選び方

逝った人を葬り、残された人たちが亡き人を偲び、供養するところ、お墓。
「うちにはお墓がないのだけれどどうしたらいいのかしら」
「郷里の両親のお墓参りもなかなかできなくてこの先どうなるかしら」
お墓問題は人生の締めくくり。不急のことだからこそ、余裕がある間に解決しておいてこそ、安心です。

縄文あるいはそれ以前からともいわれるほど古くから、お墓をつくって大切に護る風習は続いてきました。
日本では、昔はほぼ土葬でしたが、100パーセント近くが火葬の現在は、荼毘(だび=梵語で火葬の意)に付してお骨壺に納めます。
葬儀、初七日の法要を済ませて一段落です。
その後に、ご遺骨をお墓に収蔵し、永く供養の拠り所とします。

葬るのがお一人だけのお墓は個人墓といい、墓石に故人の名前を記します。ご夫婦だけのお墓の場合は夫婦墓、比翼墓ともいいます。 合祀墓は一つの墓碑に複数の人たちを葬って供養するお墓です。墓石に〇〇家の墓と記して代々のお骨を納める代々墓はその典型です。 一つの団体に所属する人たちが共有し、墓碑に名前を書き加えていくのも合祀墓です。 また、永代供養のお骨を合祀するお墓を指す場合もあります。

墓所は大きく3つに分類できます。 ◇お墓:野外に墓石を建て、地上やその下の地中に納骨室を設けるか、あるいは土穴を設けた墓所。
◇納骨堂:お堂を建てて、納骨室、参拝室などを設けた屋内型の墓所。
◇限定域の林、海:樹木葬、海洋散骨

お墓も納骨堂も、お寺や神社の附属・公営・民営の別があり、法律の定めに従い、許可を得て営まれています。土葬や樹木葬、海洋散骨も国と自治体の法的規制の下にあるので、十分注意して専門事業者を選ぶことが大事です。

納骨堂を墓所に選ぶ傾向が、近年、とくに都市部で強まっています。
一家族の人数が少なくなり、ずっと同じ地に住むとは限らないので、新たに求める場合はもちろん、遠隔地にある従来のお墓をしまい、納骨堂に移して供養する人も多くなりました。

墓所のサイズやタイプ、供養の形式などは運営母体によってさまざまで、最初の購入費や年ごとの管理料(護持費)も異なります。なお、購入といっても所有権を買い取るのではなく、永代または有期限の使用権ですが、代替わりしても更新できます。
後継者はいない、あるいは次代はともかく次の次と代が代われば供養できないかもしれないとお考えの場合は、永代供養を頼める墓所を選択することがおすすめです。

永代供養は、「墓所の継承者がいなくてもずっと供養をしてお護りします」というものです。
墓所選びで気を配る重要ポイントですので、しっかりご確認することをおすすめします。

〈 NO.10 〉 「散歩」に「運動として歩く」をプラス

コラム散歩

仕事や家事、趣味や会食と活動的だった日々がコロナ禍でままならなくなり運動不足になっていませんか。
そんなときは、いつもの散歩にちょっと「運動として歩く」を加えることで、足の筋力を強くする有酸素運動がお勧めです。

歩く動作は、足の筋肉が収縮・弛緩を繰り返し、それによって血流がよくなり血液の循環をよくします。
血流がよいと、手先・足先から脳にまで必要な酸素と栄養が行き渡り、体全体を活性化してくれます。
このことは「足は第二心臓」という言葉とともに、もう耳にたこができるほど聞いていらっしゃると思いますが、ぶらぶらと楽しく散歩するだけではなく、体全体を使った運動として歩く動作を行うことで、歩く効用は倍増します。

「歩く」は有酸素運動です。
有酸素運動とは、血糖や脂肪に酸素が加わってエネルギー源となり筋肉を動かす運動です。
対して、無酸素運動はグリコ―ゲンを乳酸に分解してエネルギーにします。
100mを10 秒で走るのは極限の無酸素運動です。

有酸素運動はゆっくりエネルギーを燃焼する筋肉運動なので、筋肉にかかる負荷が少なく、時間をかけて筋力を付けてくれます。
運動として歩く場合は、上半身を垂直に保ち、胸を張って歩きます。両肩を後ろに反らすような気持ちで、股関節から動かす気持ちで、後ろ脚は膝を伸ばす気持ちで、手は後ろに大きく振る気持ちで。
全部を忠実に守るとかなり大変ですが、併せて少し歩幅を広くし、少しスピードを上げると運動効果はより上がります。
ぶらぶら歩きに、時々、「運動として歩く」を挟んで、フォームを意識しながら歩きます。

「歩く」あるいは「ウオーキング」については、厚生労働省「生活習慣病予防のための健康情報サイト(e-ヘルスネット)やNHKラジオ「健康ライフ」(サイト「NHK読むらじる」)、その他たくさん紹介されているので、正しい動作やフォームを参考にすることができます。
e-ヘルスネットのアクティブガイドは「今より10 分間多く体を動かす(プラス・テン)」を奨励しています。
家の中でもできる「ラジオ体操」は10 分間の放送です。
手すりや壁に手を置いてふらつかないようにして、片足ずつ前と後ろに脚を振り上げれば、歩く代わりの有酸素運動になります。

いつもの川岸の道を往復、知らない路地を回り道、目的地はコーヒーショップ……散歩の楽しみ方はいろいろですが、歩く途中でところどころに、ピンと体を伸ばしてスタスタ歩く「運動として歩く」を交えてみるのはいかがでしょうか。

〈 NO.9 〉 お彼岸は日本独自の仏教文化

目黒御廟お彼岸

秋の「お彼岸」2021年は9月20 日(月)~26 日(日)です。お墓まいりに行くという方も多いでしょう。
太陰暦では季節の変わり目は「節気(せっき)」で表されました。
今も「二十四節気(にじゅうしせっき)」や「雑節(ざっせつ)」が生活のなかに生きており、お彼岸は雑節に入っています。

彼岸(ひがん)は此岸(しがん)と対の言葉で、向こう岸とこちら側のことですが、暦に記されるお彼岸は「さとりの境地」を指し、それに比べるのが煩悩に苦しむ人の世です。
お彼岸の期間に行われる法要や法会は彼岸会(ひがんえ)といいます。

始まりは平安時代初期と伝わりますから、最澄や空海が開宗した頃から続いているわけです。全国の国分寺・国分尼寺で『金剛般若経(こんごうはんにゃきょう)』の読誦(どくじゅ)が命じられたと記録があるそうです。
やがて、どこのお寺でも彼岸のお勤めをするようになり、人びとの間にお寺で法話に耳を傾け、ご先祖を想ってお墓参りをする風習が定着しました。
お彼岸の初日を「入り」、7日目を「明け」と言い、真ん中の日を「お中日(おちゅうにち)」といいます。お中日は春分・秋分の日と決まっています。

なぜ、お彼岸は春分・秋分の日なのでしょうか。

それは、真東から日が昇り真西に沈む日だからです。
一日の始まりが日の出、終わりが日の入りであることを人生にたとえて、西の彼方に人生の終焉を感じたのでしょうか。浄土真宗では彼岸には「阿弥陀如来の極楽浄土」があるとされており、この考えも広く知られています。

春分・秋分の日は、気象学で太陽が春分点・秋分点を通る時刻を含む1 日と定義されています。
その日時は、地球の公転が365 日と6 時間弱なので約4 年で1 日分ズレていきます。そこで、国立天文台が算出した春分・秋分の日に合わせて、毎年お彼岸のお中日が決まります。
春分・秋分の日が国民の祝日になったのは、おそらく明治時代に皇族方の法要が行われる皇霊祭が祭日に定められていた名残りと考えられますが、そのおかげで、全国統一にお彼岸の期間には必ず休日と日曜日が入ります。

また、春分・秋分の日は昼夜が同じ時間になるとされ、実際は少し異なるのですが、秋分を境に暑さが薄れ、春分からは寒さが和らいでいくので「暑さ寒さも彼岸まで」という慣用句も生まれました。
お彼岸は過ごしやすい季節の到来を告げているのです。

同じ餅菓子を、春は牡丹餅、秋は御萩と名を変える風流もうれしいもの。
彼岸会に参加したり、お墓やお仏壇の前でご先祖や亡くなった人を偲びたいときです。

〈 NO.8 〉 「両親も犬たちも、やがては私たちも」

エンディングノート

目黒御廟のご利用者にお話をお伺いする企画です。
今回は、目黒御廟の建築設計をなさった建築家の北村雄史さんにお話をお伺いしました。

■黒川紀章建築都市設計事務所 北村雄史さん (聞き手:終活コラム編集部)


----北川雄史先生は目黒御廟の納骨堂の建築設計をなさった建築家でいらっしゃって、完成してほどなく、納骨堂を購入なさいました。設計なさるときから利用をお考えだったのですか。

いや、わが家にはその時はすでに亡くなった父が眠っている墓地がありました。
父は60歳から墓地探しを始め、東京・あきる野市の西多摩霊園に1区画購入しました。
当時の私は、黒川紀章都市計画研究所で働いていて、ブルガリアのソフィアでホテルの設計を担当し、竣工後帰国したら、「買った」と。
それからわずか2年後の1981年に、父は67歳で突然亡くなってしまいました。
西多摩霊園は、クルマなら中央高速を使って自宅から1時間ほどでしたので、母を連れてちょくちょく墓参りに行きました。

----お父さまはずいぶん早くお亡くなりに。

目黒御廟が完成したとき、私はもう父の亡くなった年齢を超えていました。で、「待てよ」と。私が亡くなった後、西多摩霊園のお墓はどうなるだろう。
二人の子どもがいますが、長男は福岡に行きっぱなしだし、娘はアメリカ在住で孫も生まれています。彼らには、墓地の草刈りなどする時間はないだろう、と。
目黒御廟のことを話したところ「目黒なら便利だから、行きやすい」と妻も子どもたちも賛成してくれました。
お墓の移動はとてもスムーズでした。わけを話してお願いしたら、すぐに対応してくださって、費用も思ったよりはかかりませんでした。
目黒御廟は宗旨・宗派を問わないので、北川家は日蓮宗ですが問題なく納骨できました。

----北川先生は、ペットのお骨も一緒に入れる〈鳳凰〉の区画を購入なさっていますね。

ええ、わが家は昔から犬を飼っていて、亡くなると調布市の深大寺動物霊園で火葬して納骨堂に預かってもらっていました。
父を目黒御廟の納骨堂に納めてしばらく経ってから、5匹の骨壺を引き取って、納骨堂にお願いしました。
人のお骨を収蔵する骨壷と、ペットの骨壷は別ですが、同じ厨子に納められるところがいいと思います。

-----昨年お母さまが亡くなられて。

母は93歳の長寿を全うしました。
今、納骨堂の参拝室で見られる写真は、父の顔、次に母の顔、その後に犬たちが次々に出てくるようにしてもらっています。
命日はもちろんですが、ぶらりとお参りに立ち寄ることもあります。母の三回忌には應慶寺のご住職にお経をあげていただきました。私は宗旨にはあまりこだわりがないので、いただいたご縁を有難く思っています。
ICカード1枚持っていれば、受付・参拝ができるのがいいですよね。長男にも1枚渡してあります。

----安心の備えもなさったし、北川先生の活動はますます好調ですね。

〈 NO.7 〉対話が生まれるエンディングノート

エンディングノート

エンディングノートは、終活の計画と実践、および確定事項を記録するものです。
なじみのない和製英語ですが、「終末期に備える覚書」といえば必要性がはっきりします。
終活を進めるなかで、整理したこと、決めたことを書き込んでいくノートです。
分類項目ごとに、実行したこと、決定事項を書き込みます。

終活は、自分自身の考えや希望を確認しながら、できれば家族や親しい人と話し合って進めたいものです。その経過をメモして残すことで、家族の間の対話の基礎ができます。
自分の望む終末期の過ごし方や葬儀・法事や納骨、財産処理などについて、伝言ではなく、家族との合意事項として文字にしておけば、先にいって、医療・介護チームや弁護士・司法書士などが加わる場合があっても、自分も家族もしっかり意見を言えます。

注意したいのは、エンディングノートには、貴重品の保管場所やパスワードなど秘密の情報は書かないこと。別のところに保管します。相続のような法的事項も、別に遺言書を準備します。

「自分の気持ちを伝える」のもエンディングノートの役割です。

家族や親しい人との思い出、生活を共にしたペットとのエピソード。
自分の生涯を振り返る自分史や、家系の歴史。
面と向かって語るのは照れくさくても、愛する人たちに贈る言葉を記します。

さて、エンディングノートはどんな形のものがよいでしょうか。
ノート派とファイル派に分かれるようです。

一冊のノート(帳面)に自分の手で書き込むと、考えが深まり、記憶にも残ります。
手元に置いていつでも開けるので、自分の分身のように寄り添ってくれます。
市販のエンディングノートは種類が豊富ですが、ふつうのノートに項目ごとにインデックスを付ける手づくりもよいものです。

項目別にクリアファイルか大判封筒を数枚用意して、関係書類のコピ―や、資料、要点のメモを保存する方法も便利です。
とりあえずファイルに入れて、時間があるときに、確定事項を箇条書きに整理します。

パソコンでの作成は、修正・追加も保管もらくです。
ただし、上書きしてしまうと、経過をメモしておくノートと違い、家族と話し合った記録を共有できなくなるので気を付けましょう。
ある程度まとまったら、印刷して紙でも保存するのがおすすめです。

ノートでもファイルでも、自分が使いやすい形を選び、まずは、既に決まっていること、たとえばわが家の宗旨、墓地の所在地、かかりつけ医や親戚の連絡先などから書き込み開始です。

〈 NO.6 〉安心と元気をくれる終活

終活

しゅうかつ。
就活は就職するための活動の略ですが、終活は、文字通り「人生の終わりに向かって活動する」という意味の新しい言葉で、2012年新語・流行語大賞のトップテンに入り、定着しました。
終活には、二つの側面があります。
自分自身の希望を実現するため。
周囲の人が困らないようにするため。
そして、この二つを準備することによって、安心して元気な日々が過ごせるようになる。
それが、終活です。

大きく分けて4つの活動に分類できます。
〇自分自身の今後
体が不自由になる前にやりたいこと、看取りをしてもらう時が来たら頼みたいこと、最期の迎え方などについて、自分の希望を明確にします。言葉で話し合うだけではなく、ノートに書き出して、家族や医療・介護チームと共有できるようにします。

〇財産の整理
財産を書き出して、価値と相続税額を検討します。遺族のために、生前にできる相続対策を行います。遺産配分を考える場合は、法律上の効力がある遺言書を作成します。

〇身辺の整理
いわゆる「断捨離」です。家財、思い出の品、衣類など、長年大切にしてきたものを思い切って処分することによって、人生の最終段階に新しいライフスタイルの日々が始まります。
少額の残金を残したままの預金通帳などの整理も忘れずに。
年賀状のお付き合いや、サークル活動を減らすといった、人間関係のシンプル化も身辺整理の一つです。

〇永遠のゴール
自分の葬儀と納骨を生前に考えておくことは、重要な終活です。
葬儀の形式は、伝統的な宗教儀式、参会者とのお別れ会、家族葬など、多様な選択肢がありますから、家族と話し合っておきます。

納骨は、葬儀以上に多様化しています。昔のように先祖代々のお墓ではなく、昨今は自分たち夫婦だけのお墓を持ちたいと考える人が増え、さらに墓石は置かずに樹木葬にする、あるいは納骨堂や合同葬を選ぶ人も多くなりました。
お墓を子どもたちが引き継ぐ負担をかけたくないからと、自分一人や夫婦二人しか入らない形で最期をまっとうすると考える人も多いのです。

以上、終活を大まかに整理してみました。全部いっぺんに取り掛かるのではなく、このなかで自分が力を入れたい部分から始めてもよいでしょう。
あるいは、まず永遠の場所を決めて、それをきっかけに、終活の一歩を踏み出すのも、実行しやすい方法です。

終活は、動けるうちに始めたいもの。開始は「思い立ったが吉日」です。
やり始めれば、終活が楽しくなります。まだまだ先のことでも「備えあれば憂いなし」なのです。

〈 NO.5 〉お墓のお引越し

お墓の引越し

前のコラムでは墓じまいについて触れましたが、続いて今回は改葬のお話。
つまりお墓の引越しです。

改葬件数は国の統計で約12.5万件(令和元年度)。10年でおよそ1.7倍に増加しているそうです。一口に引越しといっても墓石も含め丸ごと引っ越す、納められている遺骨だけ人数分全部移す、特定の故人分の遺骨だけ移す、あるいは遺骨の一部を分骨するなどいろいろですが、大半の改葬は遺骨だけの移送だそうです。古いお墓は撤去し更地にして管理者に返します。
では、改葬は具体的にどんな段取りで進めれば良いのでしょうか。

まずは、墓じまいのコラムでも記した通り家族・親族間、寺院墓地の場合はお寺とのコンセンサスを得ておくことは言うまでもありません。
その上で新たなお墓となる改葬先を決めておきましょう。そして改葬先の管理者(霊園事務所、寺院等)から「永代使用許可証」(又はそれに類する受入証明)をもらっておきます。
次に改葬元の市区町村に「改葬許可申請書」を提出します。申請用紙は自治体によってはホームページからダウンロードできたり、遠方であれば大抵は郵送もしてくれます。申請書には埋蔵証明として所定欄に改葬元管理者の署名捺印をもらいます。又、多くの市区町村では、前述の永代使用許可証のコピーの添付や原本の提示を申請時に求められる場合があります。こうした手続きを経て「改葬許可証」が発行され、ようやく遺骨を取出すことができるのです。
因みに複数の遺骨を移す場合は、人数分の書類が必要となるので要注意。分骨の場合は改葬元管理者から「分骨証明書」をもらっておけば役所への届けは不要です。

遺骨の取出しやお墓の撤去・整地作業は、墓地の管理者を通じて業者(主には石材店)に依頼するのが一般的。 業者さんによっては事務手続きの代行もしてくれます。
遺骨を取出す際には、仏式であれば閉眼供養(宗派によっては言い方が異なる)を行います。外墓地から改葬する遺骨を室内施設に収蔵する場合、多くの場合には洗骨処理を施します。その後、改葬先に納骨し、今度は開眼供養を行います。
これら一連の流れで概ね1〜2ヶ月を想定しておくと良いでしょう。

さて気になるのは費用。
あくまで参考としてですが、遺骨の取出し3〜5万円、広さにもよりますがお墓の撤去・整地費に30〜50万円、お寺へのお布施(離檀料・供養料)として10〜20万円といったところ。これに新たなお墓の購入費が加わります。遠距離の場合は交通費も馬鹿になりませんね。

引越しには、それなりに手間と気配りとお金がかかるもの。
しっかりとした準備でのぞみたいものです。

〈 NO.4 〉墓じまいの心得

墓じまいの心得

少子高齢化が進む日本で今問題になっているのが、空き家です。
玄関を蔦が覆い庭木も伸び放題。いかにも住む人が絶えて久しい家を見かけることが身近にも増えてきたような…。
平成30年の総務省統計では全国でおよそ850万戸、空き家率は実に13.6%にものぼるとか。

そして「お墓」も守る人のいないお墓が年々増えているそうです。その要因としては、やはり少子高齢化やそれに伴う地方の過疎化が大きいものと思われます。そんな守りきれなくなったお墓はどうすれば良いのか。

近年よく耳にするようになったのが「墓じまい」です。
墓を「終う」、どこか断捨離の延長のようなイメージがありますが、お墓を処分するだけではなく、そこに納められていた遺骨の引越し先もセットで考えなくてはなりません。

例えば、遠方の実家でお墓を継いでいた両親も亡くなったので、自分が住んでいる近くの納骨堂にお墓を移す、一人っ子同士の夫婦がそれぞれの実家のお墓をどちらかひとつにまとめる(二世帯墓)ことにしたなど、まずは墓じまいする遺骨の行く先を定めることが先決です。

ひとつには遺骨を自分が管理しやすい場所に移すという選択。
前出の例のように古いお墓は終って、身近なエリアに新たなお墓を確保し、そこに遺骨を移すというケースです。
お墓の管理自体がもう無理なのでやめにしたいということであれば、合祀墓に遺骨を移して、永代供養にしてもらうという方法もあります。墓じまいというと、代々何代も続いてきた古いお墓を閉じるという感じを受けますが、実際には2、3世代くらい、大体50年くらい前のお墓が多いとか。何れにせよ、墓じまいとはご先祖を無縁仏としないよう、自分の生活スタイルに合わせてお墓との関わりを新たにする、ということではないでしょうか。

お終いにスムーズな墓じまいの為の鉄則を。
それは事前に親族間・家族間での相談を十分にしておくこと。トラブルの多くは親族間・家族間での意思疎通の不足が原因となっています。
なぜ墓じまいをするのか、そのあと遺骨はどうしたいのか、費用負担も含め理解を得ておきましょう。

また、寺院墓地の場合は墓じまいするお寺にも、早めにその意思を伝えておくことをおすすめします。
その際には今までの供養に対する感謝を伝えるとともに、御礼を用意しておくと良いでしょう。

事前のコンセンサスをしっかり整えておくこと。
それこそが上手に墓をしまう近道です。

〈 NO.3 〉多様化するお墓スタイル

ペットとの上手な暮らし方

高齢化社会と言われて久しい昨今、自分もそろそろ終活をと意識する方も多いと思います。
となると気になるのがお墓のこと。残された家族に負担をかけぬよう、あるいは夫婦で自分達らしいお墓をと、生前購入も当たり前になってきています。今は一口にお墓といってもそのスタイルはさまざま。従来型の外墓地タイプから納骨堂や樹木葬など、思いに沿ったスタイルを選べるようになってきたことは、時代の流れというものでしょうか。
そんな多様化したお墓スタイルの特徴を比べてみましょう。

外墓地には寺院墓地、民間の霊園墓地、自治体管理の公営墓地などがあります。寺院墓地では檀家加入が求められたり宗派が限られるケース、公営墓地では生前購入ができない場合もあり、十分な事前確認が必要です。
納骨堂は参拝に便利な立地が多く、特に都市部でニーズが高まっています。タイプもいろいろとあり、ロッカー式や仏壇式はマンションのようにズラリと並んだスペースに遺骨を安置するタイプ、自動搬送式はバックヤードに納められた遺骨が、参拝ブースに自動搬送されるハイテクなシステムです。
自動搬送式はお参りに際して天候を気にせず、掃除などの手入れも不要、大抵の施設でお香やお花の用意があり手ぶらで参拝できること、さらに比較的費用が抑えられ、改葬もしやすいなどの良さがある反面、屋外のお墓の方が開放感があると感じる方もいるようです。

「死して自然に還りたい」という思いを反映した自然葬といえば、樹木葬や散骨葬です。

樹木葬には、例えば一本の桜の周りに遺骨を埋葬していくメインツリー型や、埋葬した付近にハナミズキや百日紅など低木を植樹する植樹型などがあります。エコロジカルな樹木葬ですが、アクセスに不便な場所が多いこと、施設によっては遺骨が後で取り出せず改葬できない場合もある点などが注意点です。

また、骨壷を家で安置する手元供養という方法もあります。遺骨の一部をペンダントなどにして身につけ、手元供養する方も増えているようです。暫くは自宅で安置し、ゆくゆくはお墓にという方にも適したスタイルでしょう。

こうして挙げただけでも、お墓のバリエーションは実に多彩で選択に迷うばかり。
ただ、忘れてならないのは、お墓とは生きている者が故人を偲び、語りかける大切な場であるということ。自分だけで決め込まず、ご夫婦でよく話し合い、お子さんの理解も得て選ぶことを心がけたいものです。

〈 NO.2 〉シニア世代とシニア犬の上手な暮らし方

ペットとの上手な暮らし方

〜今こそ愛を込めて「もう子供扱いはしない」〜

かつての憧れの人。足のきれいだったアイドル歌手がテレビの通販番組に出て「わ〜、これ欲し〜い」と叫んでいます。目元の涼しいクールな映画スターがクイズ番組でボケ味たっぷりで笑わせています。歴史の移ろいを嫌がおうにも目にする今日この頃です。
「あ〜あ、歳はとりたくないもんだ〜」
自分のことは棚に上げてつぶやけば、足元に横たわる年老いた愛犬。つい、ため息がもれます。
「あの頃のおまえはどこへ行ったんだ」注:くれぐれも配偶者へ向けて口にしないように…

ペットショップで一目惚れし、懐に抱いて連れ帰った生後間もない子犬。悲しげな瞳に魅入られ、泣きながら施設から連れ帰った保護犬。その後、すっかり家族の一員となり、かけがえのない存在となった愛犬たち。そんな愛犬との永遠の甘い生活を疑わずにいたいけれど、老いは霊長類すべての宿命。避けて通れません。
犬の年齢はドッグイヤーと表現します。犬の平均寿命を調べてみると、14.29歳(全国犬猫飼育実験調査2014〜17年集計)だそうで、つまり生れた直後から飼い初めた場合、約15年間が犬と暮らす年数ということになります。人間の平均寿命に重ねてみると、彼らは4〜5倍のスピードで歳をとっていることになります。愛犬と自分の年齢を重ね、互いが同年代に達していることに気付くシニア世代。さらにこの先、愛犬が自分の年齢を超えることに気づきハッとします。

「最近、耳が遠くなってさ〜」
「疲れやすいし、歯もボロボロ…」
「トイレが近いのが困るよな〜」

呼べど叫べど、知らんふり。クッションの上で一日中寝ている愛犬。それに憤慨したところで、犬は言葉を発しません。しかし思いやれば、感じることのできる老いへの共感。ともに生きてきた年月です。

さて、残り時間をともにどう過ごすか。大切なことは相手を思いやること。これにつきます。老犬の世話は在宅介護に似ているといわれます。「面倒をみる」「ケアをする」はすべて一方通行。見返りはありません。出会いから今日まで、どれほどの多幸感を頂戴してきたことか。愛した相手、お世話になった方への恩返しです。さて、ともに始まる終活タイム。
「こいつがいなくなったら寂しくなるな〜」
そんな思いは胸の奥底にしまい、おどけたポーズで記念写真。素敵なラストシーンへの準備を心がけましょう。自然と湧いてくる愛犬への感謝の言葉。

「ありがとうグットライフ」

〈 NO.1 〉今どきのお墓事情「海外のお墓」

ペットとの上手な暮らし方

世界には様々な葬儀スタイルがあります。日本人が当然と考える火葬も、世界には土葬をメインとする国が数多くあります。キリスト教やイスラム教などでは死者の復活を教義とするため基本は土葬です。水葬や風葬、鳥葬といった、墓を必要としない葬儀も存在します。

タイやミャンマーは国中に寺院が点在。道行く托鉢の僧侶は日常風景ですが、これらの国に個人の墓は存在しません。火葬後、遺骨は海や川へ流されるのです。チベットやインドの一部で行なわれているのが鳥葬。輪廻転生を信じるチベット仏教。岩の上に亡骸を横たえ、それをハゲワシがついばむという方式。

インドではゾロアスター教の信者が行いますが、近年ハゲワシの数が減少し、食べ残しが問題に、という話も。墓や霊園も多種多様です。

日本人の墓は先祖供養を目的とし、複数の人間が入りますが、世界では概ね個人のもの。
つまり、一人一墓です。

そのため時に個性豊かな墓石が登場。故人の趣味や思い出を反映した、車やバイク、ペット、サッカーボール、はては自身の等身大像まで墓石にします。墓地や霊園の雰囲気もその国独自のもの。
米国の墓地はスケールの大きさに驚かされます。緑の芝生、噴水、美しい建築物と彫刻。戦没者慰霊墓地には真っ白い十字架が果てしなく立ち並んでいます。
パリにあるモンパルナス墓地やモンマルトル墓地には、サルトルやスタンダールといった文豪が、ウィーン中央墓地には、ベートーベンやシューベルトなどの音楽家が眠っています。観光客がひっきりなしに足を運ぶ、まるで観光地のような存在です。
韓国の田舎でたまに目にするのは土を丸く盛ったかわいらしい饅頭型の墓。
メキシコの墓は花のデコレーションでラテン系の明るさにあふれています。
中国やマレーシアなど、中華圏で見かけるのが引き出しを重ねたようなマンションタイプ。ルーマニアにはポップなイラストが刻まれた、アート作品のようなカラフルな墓があります。

死に向かって生きている人間。儚いからこそ大切な命。
世界中の人々が思い思いにお墓と向き合っています。

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