五・七・五で表現する俳句・川柳
俳句や川柳が人気です。
テレビやラジオで取り上げられ、新聞には短歌、俳句欄があり、川柳も「よみうり時事川柳」や「仲畑流万能川柳」(毎日新聞)などの連載があります。
「お~いお茶新俳句大賞」、「サラっと一句!わたしの川柳コンクール(旧名サラリーマン川柳)」は企業が主催しています。
五・七・五のわずか17音(文字)で詠む俳句と川柳は日本の文字の発達とともに生まれました。
538年とされる「仏教の公伝(朝鮮半島の百済の王から日本の朝廷に伝えられた)」において仏像と経論がもたらされました。
漢字の文書はそれ以前から入ってきていましたが、漢字を使うようになったのは、この中国の漢字で書かれたお経を読み、理解するところから始まりました。
700年代には古事記、日本書記が漢字で書かれ、その中には漢字の音を借りて五・七・五・七・七の歌も記されました。仮名(かな)の誕生です。
和歌の「万葉集」は仮名を交えて編まれ、ここから日本語のひらがな、カタカナが発達しました。
平安時代は、五・七・五・七・七と詠む短歌、五・七/五・七を繰り返して最後に七で結ぶ長歌(ちょうか)がありました。
座を組んで、五・七・五(上句)と七・七(下句)を違う人が、ふたりと限らず数人で詠んでつないでいく連歌(れんが)も盛んでした。
江戸時代には全国的に「俳諧連歌」が普及します。「俳諧」は戯れ(たわむれ)を意味する熟語で、即興で機智に富んだ句を付けていきます。
旅の行く先々で、招かれて俳諧連歌の発句を詠み、独立した文学作品「俳句」を確立したのが、松尾芭蕉です。有名な「古池や蛙飛び込む水の音」もあれば「花の雲鐘は上野か浅草か」のように親しみやすい下町の句も残しています。
与謝蕪村は、芭蕉が没して20年余り後に、上方(大阪)に生まれ、江戸に出て「菜の花や月は東に日は西に」「五月雨や大河を前に家二軒」など近代に通じる句作を残した俳人であり、また水墨画の絵師でもありました。
川柳は、蕪村と同年配の柄井川柳(からい せんりゅう)が、俳諧連歌の付句を取り出して「前句付け」という技法に転じて独立させたもので、自らが名乗った俳号がそのまま名称になりました。
川柳は俳句と同じく五・七・五で詠みますが、人情の機微や社会観察を詠むのが特徴です。
俳句には五・七・五のどこかに一つ季語を入れるという約束事があります。季語は、季節の時候や事物を表す言葉で、前掲の句の「蛙」は春、「五月雨」は夏です。
季語にも音数にもこだわらない「自由律俳句」も評価が確立されていますが、季語には日本の情緒が詰まっているので、知るだけでもおもしろいし、勉強になり、句作するヒントも与えてくれます。
季語は時代に合わせてどんどん増え、季語と解説使用例を掲載した「歳時記」には、膨大な量の言葉が詰まっています。
季語を調べるのも、俳句欄や川柳欄を眺めるのも、五・七・五で詠んでみるのも、よい趣味になりそうです。






