私たちの食文化の原点は、江戸にあり!?
(前編)
朝食はごはん派ですか、それともパン派ですか?
ごはん派の方は特にやきもきした、この夏に起きた“令和のお米騒動”。今は落ち着きを取り戻していますが、今回のことで「お米が無いと落ち着かない」「1日に1回はお米を食べたい」と、ごはん派ではなくても、そう実感された方は多かったのではないでしょうか。ふっくらとした白米、香ばしく食べ応えのある玄米。どちらも美味しいですよね。 お米は日本の食に欠かせない大切な食材です。2013年12月「和食:日本人の伝統的な食文化」が、ユネスコ無形文化遺産に登録されたのは記憶に新しく、世界的に健康志向が高まるなか、和食は注目をされ続けています。 そこで今回のコラムは、私たちの食文化にまつわるお話です。
なつかしい昭和の給食とお弁当
私たちが小学生だった昭和の時代は、給食は残してはいけませんという指導のもとで食べていました。ですから苦手な献立の日はちょっとユーウツになったものですが、家の食卓ではあまり登場することのなかった鯨の竜田揚げやコッペパンにおかずを挟んで食べるのは楽しいひとときでした。砂糖をまぶした揚げパンは大人気でしたね。 中学生になるとお弁当持参になり、時には友達とおかずを交換し合って楽しいお昼の時間を過ごしたものです。今のようなキャラ弁などは無く、皆、お弁当箱の蓋を開くと、卵焼きや唐揚げ、コロッケ、ウインナー、昆布の佃煮など全体的に茶色いおかずが多かったような気がしますが、それがまた美味しいのですよね。私の母はよく、ごはんの間に醤油を垂らした焼き海苔と鰹節を敷き詰めてくれました。お昼頃になるとちょうど味が染みて大好きな味わいでした。皆様はどんな思い出がありますか?
神様に「いただきます」
私たちが食事をする時にいう「いただきます」。この言葉のルーツをご存知ですか? 日本の節句や祭り事では、神人共食(しんじんきょうしょく)といい、神様にお供えをしたものを「いただく」風習があります。例えばお正月の鏡餅がわかりやすいですね。神様に家々の幸せを願って餅をお供えし、鏡開きの日には餅を叩いて割って、家族でいただく。「いただきます」の言葉は、神様へお供えをしたものを私たちもいただきます、という感謝の意味があります。 また、生き物の命をいただくことへの感謝、食物を実らせてくれた人への感謝、調理をしてくれた人への感謝。「いただきます」には、こんなにもたくさんの感謝の気持ちが込められているのです。
ありがたい気持ちの「ごちそうさま」
漢字で“御馳走様”と書きますが、馳走とは字の如く馬で走り回ることを意味しています。その昔、大切なお客様をもてなす時、馬を用意して方々を走り、食材を調達していました。そこまでして食事を用意してくれてありがたいと、もてなしてくれた人への感謝の気持ちを込め、敬語の“御”と“様”が付いて“御馳走様”になりました。 こうした挨拶は日本独特のもので、同じニュアンスの言葉は外国には無いそうです。何気なく口にしている「いただきます」「ごちそうさま」ですが、大事にしていきたい言葉ですね。
1日3食の習慣は江戸の復興から始まった
1日3食。この習慣はいつから始まったのでしょう。歴史を振り返ると、戦国時代の武士のように、体力を必要とする人たちは1日3食を摂っていましたが、江戸時代中期までは1日2食が一般的でした。 ではなぜ1日3食? その背景は、江戸の町を焼き尽くした「明暦の大火」にありました。町の復興に全国から集まった労働者たちが「朝晩のメシだけじゃ、体がもたない、仕事にならない!」とお昼ごはんを食べるようになったこと。この習慣が町中に広まり、定着をしていったのです。なるほど、食べることはいつの時代も皆大好きですから、あっという間に広がっていったのでしょう。 さてこの時代、燃料は大変貴重な物でした。そのため、1日分のごはんは朝にまとめて炊くのが一般的だったので、温かいごはんを食べるのは朝だけ。残りのごはんはお櫃に移して昼と夜に食べました。 私たちは幼少の頃から、1日3食を規則正しく食べましょうと習い、あたり前のように食べていますが、もしかしたら江戸中期以前の1日2食が体に合っている方もいるかもしれませんね。
次回は、江戸時代の食文化を探っていきます。現代につながる食のルーツが見えてくるかもしれません。






