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終活コラム
NO.29

偲ぶこころは一つ

偲ぶこころは一つ

お釈迦さまは亡くなられると荼毘(だび)に付され、舎利(しゃり)は舎利塔に納められたと伝わっています。荼毘は梵語で火葬、舎利はお骨のことです。お釈迦様が火葬されたことからその文化が世界に伝わったとされる文献もあります。

日本では、考古学の発掘調査で1983 年に、旧石器時代のお墓の遺跡が、北海道知内町で発見され、石刃、玉(ぎょく)などの副葬品も発掘されました。見つかった火葬の跡では、古墳時代とみられるものが最古と考えられています。

有史に現れるところでは、653 年に遣唐使として唐に渡り、玄奘三蔵に師事した道昭(どうしょう)が700年に72歳で没し火葬されたと、『続日本紀』に記されています。
平安時代(710年~794年)に入ると、皇族、貴族、僧侶などが火葬を行い、お骨を御廟やお堂、搭に納めて祀るようになりました。

庶民は土葬で、街中を外れた墓場や、自宅の裏山などに葬っていましたが、江戸時代後半になると都市部を中心に火葬が普及し、お寺や神社の近くに墓石を立てるようになりました。
「墓」という文字は、中国の漢字です。莫の下に日を置くと、太陽が沈んで草の下に沈む日暮の「暮」。土を置いた「墓」は、土が草に覆われ隠れてしまった場所を意味しています。昔の人も、体は自然に還り、魂は永遠と考えていたでしょうか。

人々の暮らしの営みが一つ所で続いていた時代は、先祖代々の墓や本家・分家の墓でした。
震災や戦争で無縁仏や無縁墓が数多く出ると、被災を免れたお寺が宗派を超えて、墓石を引き取ったり合祀墓を建立したりして、ご供養をした時代もありました。

現代の日本では、ほとんどが火葬され、お骨はお墓や納骨堂などに納められます。お墓の形は時代とともに変化し、貴人のものから多くの人と共用する形へと移り変わってきました。

納骨堂は、ロッカー式や仏壇式、マンションタイプと呼ばれる自動搬送式タイプなど、あらゆる種類がありますが、これは私たちの生活様式が変化し、一人で暮らしている人、後継者がいない人、仕事で留守が多い人など、「家」に属していたお墓を維持するのが難しくなった社会のニーズがもたらした結果です。

納骨堂の中でも自動搬送式タイプのお墓は、その様式から広い場所に設置されており、明るくプライベート空間が保たれている場所が多く見受けられます。

お掃除や管理の心配はなく、お花も施設で用意されていることがほとんどのため、好きな時に訪れて、亡き人を思い、万物に感謝して手を合わせることができます。こころ一つで、いつでも気軽にお参りに行くことができ、お墓参りそのものが身近なものに感じられます。

いつか自分が入る時に備えて、事前にお墓を用意しておくこともできます。
将来お世話になることを考えるようになったら、選択の自由があることを踏まえて、自分の事情に合わせた計画を立てたいものです。

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