お墓参りは、今は亡き大切な人たちに会える温かなひととき
あんなに暑かった夏が少しずつ遠ざかり、朝夕の柔らかな涼しい風を感じると、心も体もほっとひと息つけますね。
ウォーキング途中、道沿いに咲く真っ赤な彼岸花を見かけると、あぁ今年も秋がやってきたと感じます。
澄みわたった青空に誘われるように、お墓参りに出かけようと思う方も多いのではないでしょうか。
けれど、「行かなくちゃいけない」「もう何年も行っていなくて‥」。
そんなふうに義務感のような重い気持ちを抱えてしまう人も少なくありません。
お墓は、行かねばならないところではなく、今は亡き大切な人たちに会える穏やかなところ。
そんなふうに考えると、お墓参りは温かなひとときになるような気がします。
心のままに語りかける時
目を閉じて手を合わせ、心の中から出てくる想い。
「いつもありがとう」
「おかげさまで元気にやっているよ」
「最近ちょっと疲れちゃって」
「そうそう、親戚のあの子が結婚したんだよ、あんなに小さかったのにね」
心の中でひとり言のように話しかけていると、気持ちが安らかで穏やかになっていく。
ふしぎですよね、目の前に大切な人たちが微笑んで姿を見せてくれるわけではないし、話しかけた言葉に返事をしてくれるわけでもないのに。
それでも気持ちが落ち着くのは、故人に語りかけながら、自分の心が整理をされていくからなのかもしれません。
お墓参りをすると前向きになれる
幼い頃、花立てに花を供えながら、「おじいちゃんもおばあちゃんも、みんなここにいるんだよ、ちゃんと勉強しているかって見ているよ」。
そう言われて子ども心にドキッとしながらも、ニコニコと笑顔で見守ってくれる姿が想像できました。
そんな話をしてくれた両親も、いまはおじいちゃんやおばあちゃん達と同じお墓の中。
時代劇で「お天道様はお見通し」のようなセリフがあったと思いますが、お墓参りをすると、「言動も気持ちもみんなに見られているのだろう。
だからというわけではないけれど、自分に嘘をつかないで、元気よく最善を尽くしていこう」と前向きな気持ちになれるのです。
皆さまはいかがですか。
手を合わせることの意味
お墓の前に立つと私たちは目を閉じて、そっと両手を合わせて合掌をします。
無意識に行なっている動作ですが、
合掌には深い意味があるのをご存知ですか。
仏教の教えでは、
右手は、仏様やご先祖様の世界。
左手は、私たちが存在する現実の世界といわれます。
つまり、両手を合わせるこの動作には、
仏様やご先祖様と私たちがひとつに繋がるという、温かな意味が込められているのです。
そのことを思いながら合掌をすると、より感謝の想いが芽生えてきますね。
今は、お墓のかたちもさまざま
昔は家のお墓を代々守っていくのが当たり前でしたから、
天気に左右されながらも、お墓参りをしていました。
しかし、時代の流れとともにその感覚は大きく変化を遂げています。
近年では、納骨堂、樹木葬、永代供養墓、散骨など、選択肢は実にさまざま。
手元供養として小さな骨壷やアクセサリーに遺骨の一部を納めるという人も。
自分たちのライフスタイルに合わせながら、
大切なことは、故人を忘れない、想い続ける。
その気持ちが一番なのだと思います。
「こんなとき、母さんならどうしただろう」
「父さんも母さんも良い人生だった?」
「生んでくれてありがとう」
「育ててくれてありがとう」
「また来るね」
伝えたい言葉や気持ちはたくさん。
お墓は、今は亡き大切な人たちに会える穏やかなところ。
生きている私たちの心を、癒してくれる場所なのかもしれません。

